首謀者と実行犯

テロの首謀者とされたウサーマ・ビン・ラーディン

テロの首謀者とされたウサーマ・ビン・ラーディン

プロフィール

本名:ウサーマ・ビン・ムハンマド・ビン・アワド・ビン・ラーディン
生年月日:1957年3月10日
出身地:サウジアラビア・リヤド
没年月日:2011年5月2日(54歳没)
没地: パキスタン・アボッターバード
死因:アメリカ軍による射殺
配偶者:およそ5人
子供:およそ20人~26人
父親:ムハンマド・ビン・ラーディン
兄弟姉妹:およそ54人

アメリカに2度の宣戦布告

アメリカに2度の宣戦布告

サウジアラビアに駐屯したアメリカに対するウサーマ・ビン・ラーディンの、最初の宣戦布告(ファトワー)は、1996年8月に行われ、次いで1998年2月にも2度目のファトワーが行われました。

世界各地のアメリカやその同盟国の国民は、軍人であろうと民間人であろうと区別することなく殺害することが、「占領されているアル=アクサー・モスクとメッカの聖なるモスクを解放することだ」と全ムスリムに呼びかけました。

その後ウサーマ・ビン・ラーディンは2011年5月2日、パキスタンのアボッターバードに潜伏していたところを、アメリカ軍の急襲により殺害されました。

1982年、アメリカはイスラエルがレバノンを侵略することを許可し、侵略を助けるためアメリカ第6艦隊を派遣した……レバノンの破壊されたタワーを目にした私の心に、我々も迫害者たちを同じやり方で罰するべきだという考えが浮かんだ。我々はアメリカのタワーを破壊して、我々が体験したものの一端を迫害者たちにも体験させるべきであり、そうすることで彼らが我々の女や子供を殺すのを思いとどまるようにすべきだと考えた

ビン・ラーディンは自らの直接的関与を認めた2004年の声明の中で、テロ攻撃を行った動機について以下のように述べた

9.11同時多発テロを計画したハリド・シェイク・モハメド

9.11同時多発テロを計画したハリド・シェイク・モハメド

アルカイダ幹部のハリド・シェイク・モハメドは、1964年にクウェートで生まれています。生まれた年月は定かではなく、他にも別の説があるようです。

アルジャジーラ記者ヨスリ・フォウダの報告では、ハリド・シェイク・モハメドは9.11同時多発テロを計画した人物であり、2002年4月に自らもその事実を認めています。

逮捕後の2007年にテロの犯行を自供。アメリカ調査委員会の9.11テロ事件の最終報告書でも、モハメドがテロの主な企画者として記されています。

モハメドがテロを企画するに至った理由は、「イスラエルに好意的なアメリカの外交政策との著しい意見の不一致」という、アメリカに対する著しい敵意であるという結論が成されました。

他にもモハメドは、世界貿易センター爆破事件や2002年のバリ島爆弾テロ事件にも関与しており、主犯であるラムジ・ユセフの叔父でもあります。

2003年3月1日にパキスタンのラーワルピンディーで逮捕され、その後CIA秘密軍事施設とグアンタナモ湾収容キャンプに拘留されて拷問を受けています。

2007年3月に行われたグアンタナモ湾での聴聞会で、モハメドは「9月11日の作戦について初めから終わりまで全ての責任があった」と証言し、この証言は強要されたものではないと述べています。

9.11テロの実行司令官ムハンマド・アーティフ

9.11テロの実行司令官ムハンマド・アーティフ

モハメド・アタら実行犯となるメンバーに指令を下したアルカイダの軍事部門の最高責任者です。

テロ事件後の2001年11月14日から16日にかけて、アメリカ軍はカーブル近郊のアーティフの住居を爆撃し死亡しました。

実行犯のモハメド・アタ

実行犯のモハメド・アタ

9.11同時多発テロの首謀者で実行犯のモハメド・アタは、1968年9月1日にエジプトのカフル・アッシャイフ県で生まれました。父親が弁護士という恵まれた環境で育ち、1990年にカイロ大学工学部建築学科を優秀な成績で卒業しました。

その後1992年10月にドイツ・ハンブルク工科大学に留学して、都市計画を学びます。1995年に非営利組織の国際交流プログラムの一員に選ばれ、カイロやサウジアラビアなどを見て回るうちに、伝統的なイスラム建築が欧米風に変わっていく様を見て、強い反発を抱くように。

その後アフガニスタンに立ち寄った際、ウサーマ・ビン・ラーディンやハリド・シェイク・モハメドから反米闘争の思想を学びました。

アルカイダの思想に傾倒していったモハメド・アナは、2001年2月にウサーマ・ビン・ラーディンの指示により渡米し、自爆テロの計画を進めます。

その後、パイロットスクール=ホフマン飛行機学校に通い航空機の操縦方法を学び、テロ当日自ら操縦するアメリカン航空11便でテロを実行、命を失いました。

実行犯のマルワン・アル=シェヒ

実行犯のマルワン・アル=シェヒ

アラブ首長国連邦のマルワン・アル=シェヒは、ユナイテッド航空175便のパイロットでした。モハメド・アタと同じ学生で、1998年頃からアルカイダに傾倒。

2000年5月29日に渡米して飛行訓練を受け、ワールドトレードセンター・ツインタワー南棟に激突し命を絶ちます。

実行犯のハニ・ハンジュール

実行犯のハニ・ハンジュール

ハニ・ハンジュールはアメリカン航空77便のパイロットとしてテロに参加し、ペンタゴンに激突させました。

1991年アリゾナ大学に入学、数か月間英語を勉強するとサウジアラビアに帰国します。1999年にパイロットの資格を取り、アフガニスタンの訓練キャンプに参加しているところを、ウサーマ・ビン・ラーディンに抜擢され9.11のパイロットとなります。

彼の担当はアメリカ国防総省(ペンタゴン)への激突でした。

実行犯のジアド・ジャラヒ

実行犯のジアド・ジャラヒ

ジアド・ジャラヒはユナイテッド航空93便のパイロットとしてテロ活動に参加。テロ当時、家族や恋人が近くに住んでいたため、テロ行為に不安を感じていた唯一の存在でした。

2000年6月に渡米してハフマンアビエーション飛行訓練学校でトレーニングを行います。その後9月11日に飛行機をハイジャック。ワシントンD.C.に向けて進路を変えますが、計画は失敗しペンシルベニア州ピッツバーグ郊外シャンクスヴィル付近の上空から墜落し、命を絶ちます。

実行犯のラムジ・ビン・アル=シブ

実行犯のラムジ・ビン・アル=シブ

イエメンのハドラマウト州で1972年5月1日に、労働者階級の家庭に生まれました。9.11同時多発テロの実行部隊の中心メンバー。

飛行訓練をし、アメリカに渡る際ビザを取得することができず、モハメド・アタとハリド・シェイク・モハメドの連絡役としてテロに参加しています。

実行犯のナワフ・アル=ハズミ

実行犯のナワフ・アル=ハズミ

ナワフ・アル=ハズミはアメリカン航空77便のテロの実行犯です。当初パイロットとして候補に挙がっていましたが、英語が上手く話せないため、ハニ・ハンジュールと交代しています。

ハズミは2001年9月11日、ペンタゴンでその生涯を終えています。

テロリストは1機に5人ずつ配置されており、ユナイテッド航空93便だけが4人でした。そのため上記の犯人を含めた19人が実行犯となっています。

9.11同時多発テロの犠牲者について

4カ所で起きたテロの犠牲者は、死者2,977人、負傷者6,000人以上とされています。中でもワールドトレードセンターのツインタワーの犠牲者は、消防士や警察官などを含めると2,753人でした。

ワールドトレードセンター

ツインタワーの崩壊

ツインタワーの崩壊

最初に突入した北棟は激突から102分後の午前10時28分に倒壊、南棟は北棟の衝撃によりそれよりも早い、激突から50分後の9時59分に倒壊しました。

捜索活動

捜索活動

タワーの捜索活動は崩壊当日から行われました。しかし、多くの遺体がバラバラに飛び散って肉片が散乱しており、2017年8月時点でも1,112人の遺体が未確認となっていました。

2006年にはツインタワーの南棟に隣接するドイツ銀行ビルの屋上で、無数の遺骨の破片が発見されていました。ニューヨーク市の検死官事務所では、2005年2月23日に鑑定作業の終了を発表。

鑑定できた遺体はわずか57%

鑑定できた遺体はわずか57%

犠牲者2,749人の19,916個の肉片が回収され、うち鑑定できたのは1,588人で、その後科学技術が発達した時点で再鑑定できるよう、身元不明の遺体片9,720個は厳重に保管されているということ。

因みに、105階にいたエーオン副社長のケビン・コスグローブ氏」は、南棟が崩壊する瞬間まで911に電話連絡をして状況を伝えていたそうです。

ツインタワーの犠牲者のうち、捜索で二次被害を受け犠牲となった消防士は343人、警察官が71人となっています。倒壊直後、または倒壊寸前に救助に入った方々でした。

アメリカ国防総省(ペンタゴン)

改装中のため犠牲者が少数に

改装中のため犠牲者が少数に

ペンタゴンへの突入による犠牲者は、乗客・乗員・ペンタゴンの職員総勢で189人、負傷者が106人でした。

当時突入された階のペンタゴン内部は改装中で使用されていなかったため、犠牲者は少数でしたが、もし改装工事中でなければワールドトレードセンターの犠牲者数を上回っていただろうと推定されていました。

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