
モナリザのモデル「リザ・デル・ジョコンド」の生涯!生い立ちや家族・結婚・死因を総まとめ
世界で最も有名な油彩画と言っても過言ではない『モナ・リザ』。そのモデルとなったのがリザ・デル・ジョコンドさんだと言われています。
そこで今回は、モナ・リザのモデルとなったリザ・デル・ジョコンドさんの生涯について、生い立ちや家族、結婚や死因などについてまとめました。
中流階級の裕福な暮らしを送る
こうして夫が行政官になったことで結婚当時よりもより裕福な生活になったリザ・デル・ジョコンドさんは、1503年には同賃貸住宅から夫の故郷に家を購入し移り住んでいます。
結婚後、5人の子供に恵まれる
修道女ベアトリーチェとなったカミーラは18歳で夭折し、フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ教会に埋葬された。
リザには当時のフィレンツェで高く崇敬されていた聖オルソラ女子修道院と交流があり、1521年に次女マリエッタをこの女子修道院に入会させることができた。修道女ルドヴィカとなったマリエッタは後に修道院の役職に就き、尊敬される修道女となっている
夫フランチェスコが肖像画を依頼
#ジョジョから学ぶ世界の偉人
— アカツキ (@syukuhukusiro) 2020年5月28日
モナ・リザ
レオナルド・ダ・ヴィンチの作品のモデル
フランチェスコ・デル・ジョコンドから妻モナ・リザの肖像画制作の依頼を受けた
記述があるため彼女の事
モナは私の貴婦人の略称
吉良は人妻に勃起したし
勿論肉体を再現したダ・ヴィンチの手にも勃起するであろう pic.twitter.com/2Slvti1ZNn
ちなみにリザ・デル・ジョコンドさんの夫がレオナルド・ダ・ヴィンチに肖像画を依頼した詳しい経緯については明かされていませんが、息子が生まれたことや家を購入したことが大きく関係しているのではないかと言われています。
レオナルドがジョコンドに頼まれて、その妻リザの肖像画を描き始めたのは、1503年で、彼女が24歳だった。妻の肖像画を依頼したのは、2つの理由が推測されている。すなわち
、その前年に二番目の息子アンドレアが生まれたこと、そして新たな家を購入したことである。
レオナルドが『モナ・リザ』を1503年から描いていたことは、レオナルドの友人であるフィレンツェの公証人、アゴスチーノ・ヴェスプッチが残した当時の記録から明らかになっている
そしてその後も『モナ・リザ』を至るところに持ち歩いたレオナルド・ダ・ヴィンチは、制作開始から10年以上が経過した1516年ごろにフィレンツェで一応完成したと言われています。
ちなみに『モナ・リザ』の由来は、モナはイタリア語『ma donna(私の貴婦人)』の略で、日本語で簡単に言うと「夫人」という意味になるのです。
よって、『モナ・リザ』はリザ夫人という意味だと言われています。
ダ・ヴィンチが描き、ナポレオンが愛し、ピカソが盗んだと疑惑をかけられた絵画
— mimosa (@mimosasomim) 2020年5月8日
モナ・リザ
フランチェスコ・デル・ジョコンドから妻モナ・リザの肖像画制作の依頼を受けたとされる。
イタリア語のma donna は私の貴婦人という意味で短縮形が mona。
私の貴婦人愛する妻 リザ。#愛する絵画 pic.twitter.com/l3yVa7rCYy
リザ・デル・ジョコンドの死因とは?
1542年、63歳で死去
1495年にフランチェスコと結婚したことは分かってるリザ・デル・ジョコンドさんですが、それ以外のことについては詳細は明らかになっていません。
そんなリザ・デル・ジョコンドさんは夫のフランチェスコさんがペストにより亡くなると、その後体調を崩したことで聖オルソラ女子修道院で次女のマリエッタにより看病されていましたが、4年後に死去したと言われています。
ただ他説には71歳か72歳となる1551年頃まで生存していたとも言われています。
「末娘Mariettaを尼僧にするために住まわせたのはこの修道院。リザ自身も、夫の遺志でこの修道院に住み、4年後に死亡した」と、Pallanti氏はレプブリカ紙に語る。
63歳で死亡したリザが埋葬されたサン・オルゾーラの修道院は、サン・ロレンツォ(San Lorenzo basilica)教会にほど近くに位置する。現在は使用されておらず廃虚となっている。
リザ・デル・ジョコンドの死因は?
Mayo Clinic Proceedingsで医師が発表した内容によると、モナ・リザの謎めいた雰囲気は、甲状腺機能低下症によるものだという可能性があるとのこと。
なぜ甲状腺機能低下症を患っていた可能性があると判明したかと言うと、モデルとなったモナ・リザの肌が黄色味がかっていることや髪の生え際が後退し薄くなっていることなどが甲状腺機能低下症の症状と一致していたからだったのです。
モナ・リザで描かれている女性は肌が黄みがかっており、髪は生え際が後退し薄くなっていて、眉が消え、喉が肥大しています。これらの症状は甲状腺機能低下症のものと一致します。また、絵が描き始められる数カ月前にリザは出産を終えていますが、出産は甲状腺機能低下の原因となり得るとのこと。満面の笑みではなく、薄いほほ笑みを浮かべているのも、筋力低下や運動能力の低下によるものの可能性があると、研究者はみています。
しかしこれはあくまでも研究者による憶測で、実際にリザ・デル・ジョコンドさんが甲状腺機能低下症を患っていたかどうかについては知る術がないため、実際の死因については不明です。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
この記事では、モナ・リザのモデルとなったリザ・デル・ジョコンドさんの生涯について、生い立ちや家族、結婚や死因などについてまとめました。
モナ・リザについては未だに謎が多いと言われており、そのモデルとなったリザ・デル・ジョコンドさんの生涯についてもほとんど明らかとなっていません。
これまでに分かっていることとして、リザ・デル・ジョコンドさんは両親の下、7人姉弟の長女としてイタリア・フィレンツェで生まれ、裕福ではありませんが家族で幸せに暮らしています。
そして15歳の時に絹布商人だったフランチェスコさんと結婚したリザ・デル・ジョコンドさんは、夫との間に5人の子供にも恵まれ、夫が行政官になったことから生活も裕福となったのです。
しかしその後、夫がペストで死去するとリザ・デル・ジョコンドさんも体調を崩し、1952年に63歳で死去したと言われています。
そんなリザ・デル・ジョコンドさんの死因についても明らかとなっていませんが、2018年の研究者の発表によると甲状腺疾患を患っていた可能性があり、それが関係しているのではないかと言われています。
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結婚当初は絹布商人だったリザ・デル・ジョコンドさんの夫フランチェスコ・デル・ジョコンドさんですが、1499年に12人で構成される評議会の評議員となったのです。
そして1512年にはフィレンツェの最高意思決定機関であるシニョリーアの一員に任命されると、更に1524年にはシニョリーア首座となっています。