キュリー夫人とピエール

キュリー夫人とピエール

そんなキュリー夫人がピエールのプロポーズを受諾したのは、それから9ヶ月後の1895年7月のことでした。

1985年7月26日、キュリー夫人とピエールは指輪も宴もない質素な結婚式を挙げています。故郷ポーランドからは父親や姉たちが駆けつけ、新婚旅行はお祝いのお金で購入した自転車に乗って、フランスの田園地帯を巡るというものでした。

キュリー夫人と旦那・ピエールの間に誕生した2人の子供

結婚2年後に長女・イレーヌが誕生

キュリー夫人とピエールが結婚した2年後、長女・イレーヌが誕生しました。

その頃にはキュリー夫人とピエールは、共同で研究や実験を行うようになっていました。昼間は放射性元素の研究に没頭する2人は、夜になるとイレーヌと過ごすという毎日を送っていたと言います。

ピエールとキュリー夫人(研究所にて)

ピエールとキュリー夫人(研究所にて)

手前に写っている機器が放射能測定機器

また、両親ともに多忙を極めていたことから、イレーヌは幼い頃から医師であるピエールの父・ウジェーヌ(祖父)の元で育てられたようです。

キュリー夫人とピエールがノーベル物理学賞を獲った時、自宅には取材陣が押し寄せ、当時6歳だったイレーヌまでもが取材対象になることも…。

そんなイレーヌは、パリの私立学校に通っていましたが、中等教育に不満を持っていたキュリー夫人は、知り合いの学者たちと作った組合学校で学ばせました。

その組合学校で2年ほど学んだイレーヌは、その後、セヴィーニ学院に通うのですが、特に数学と物理学に顕著な才能を発揮しいてたと言います。

1914年に第一次世界大戦が勃発すると、キュリー夫人は負傷者の手当てのために放射線治療車で各地を回ったのですが、当時17歳だったイレーヌも母に同行し、やがて1人でX線検査を任されるようになっていったそうです。

1918年に第一次世界大戦が終結すると、イレーヌはそのまま母親の研究所に入り、助手として手伝うようになりました。

母親の研究を手伝うイレーヌ(左)

母親の研究を手伝うイレーヌ(左)

次女・エーヴは科学者の道には進まなかった

キュリー夫人とピエールが共同でノーベル物理学賞を受賞した1年後、次女のエーヴが誕生しました。

エーヴ・キュリー

エーヴ・キュリー

ところがエーヴが誕生した2年後の1904年、父親のピエールは馬車に轢かれて死去しています。キュリー夫人とまだ8歳だった長女・イレーヌは大変なショックを受けたと言います。

キュリー夫人はその後、ピエールの後任としてソルボンヌ大学の教授に就任し、ピエールの実験室も受け継いで研究に邁進し、1911年には2度目のノーベル賞であるノーベル化学賞を受賞しています。

一方、次女エーヴは幼い頃からピアノを学び、大学卒業後はピアノコンサートを開くなど、音楽家としてその才能を発揮したのみならず、キュリー夫人がヨーロッパを廻る時に付き添うなど、母親の生活面をサポートしていました。

また、キュリー夫人の晩年を支え、その最期を看取ったのも次女・エーヴで、母親の死後は伝記「キュリー夫人」を執筆し、1937年に出版。この著書は様々な国で翻訳され、映画にもなりました。

エーヴ・キュリー

エーヴ・キュリー

母親の伝記「キュリー夫人」を執筆するエーヴ

キュリー夫人の子孫(孫)について

キュリー夫人の長女・イレーヌはその後、ソルボンヌ大学に進学し、母親と同じ化学の道を志すようになります。

また、助手として母親の研究所に出入りするうちに、同研究所でキュリー夫人の助手として働いてたフレデリック・ジョリオと親密になり、2人は1926年に結婚しています。

フレデリック(左)とイレーヌ

フレデリック(左)とイレーヌ

イレーヌは母親と同様に、結婚後は旦那・ジョリオと共同で研究に没頭しました。その結果、1934年に2人は世界初の人工放射性同位元素・リン30の合成に成功し、翌1935年に共同でノーベル化学賞を受賞しています。

その功績が高く評価され、イレーヌはは時のフランス内閣で化学担当国務次官、さらにパリ大学の教授にもなりました。

プライベートではキュリー夫人の孫となる、1男1女にも恵まれ、幸せな家庭生活を送るのですが…長年の放射能研究が災いしてか、イレーヌは1956年に、旦那のフレデリックも1958年に、同じ白血病でこの世を去っています。

晩年のキュリー夫人(左)とイレーヌ夫妻家族

晩年のキュリー夫人(左)とイレーヌ夫妻家族

中央がキュリー夫人の2人の孫、右端は旦那・ジョリオの母親

まとめ

いかがでしたでしょうか。

女性の社会進出がまだまだ難しかった時代に、放射能研究のパイオニアとして1903年にはノーベル物理学賞、さらに1911年にはノーベル化学賞を受賞した、ポーランド出身の女性物理学者・化学者のキュリー夫人。

今回、そんなキュリー夫人が結婚した旦那・ピエールとの馴れ初めや2人の子供のその後の活躍、そしてその子供である子孫(孫)についてまとめてみました。

キュリー夫人と2人の娘(イレーヌとエーヴ)

キュリー夫人と2人の娘(イレーヌとエーヴ)

次女エーヴはその後、ヘンリー・リチャードソン・ラブイス・ジュニアと結婚するのですが、旦那のライブスがユニセフ事務局長を務めていた1965年に、ユニセフがノーベル平和賞を受賞するんですよね。

両親と姉夫婦、そして旦那までもがノーベル賞に関わるという、数奇な人生を送ったエーヴは、1972年のインタビューの中で、「私は家族でただ一人、ノーベル賞を受賞していないのよ」と楽しそうに語ったそうです。

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