テリー・ファンクの現在や死因!結婚した家族と認知症・全日本プロレスでの活躍と引退騒動や必殺技・死去をまとめ
全日本プロレスなど日米のマットで活躍した外国人レスラーで“テキサスの荒馬”の愛称でも知られたテリー・ファンク。
今回、テリー・ファンクが日本で人気を獲得した経緯や引退&カムバック騒動、必殺技について振り返るとともに、結婚した嫁や家族、認知症発症や死去した現在までについてまとめました。
テリー・ファンクのプロフィール
テリー・ファンクはアイドル的人気を誇った外国人プロレスラー
テリー・ファンクの転機は1971年のBI砲からのインタータッグ王座奪取
テリー・ファンクが1970年に初来日した時には、現役NWAチャンピオンだった兄・ドリー・ファンク・ジュニアの影に隠れた一介の新人レスラーに過ぎませんでした。
その後もしばらくの間は、兄・ドリー・ファンク・ジュニア、父・ドリー・ファンク・シニアの添え物のように扱われていたテリー・ファンクでしたが、そんな彼に転機が訪れたのは1971年12月7日のことでした。
この日、テリー・ファンクは兄・ドリーとタッグ「ファンクス」を組み、インターナショナルタッグ王者「BI砲」こと、ジャイアント馬場とアントニオ猪木と対戦。
このマッチでテリー・ファンクは、ジャイアント馬場を華麗な人間風車でフィニッシュを決め、見事、インターナショナル王座を奪取し、多くのプロレスファンに存在感を示したのです。
その後、1972年の全日本プロレス旗揚げでは、兄ドリー・ファンク・ジュニアとのタッグ「ザ・ファンクス」として参戦し、やがてエース外国人レスラーに登りつめることになります
テリー・ファンクがアイドル的人気を獲得するきっかけ
そんなテリー・ファンクが、国民的人気を獲得するきっかけとなったのは、1977年12月15日、「世界オープン・タッグ選手権」最終日に行われた「ザ・ファンクス vs. ブッチャー&シーク」の因縁マッチでした。
この試合に勝った方が優勝という状況の中、前半はザ・ファンクスが優位に試合を進めるも、老獪なブッチャー&シーク組が隠し持っていた凶器攻撃で応酬し、乱戦に持ち込む…といういつもの流れだったのですが…この日のブッチャーはぶっ飛んでいました。
なんと隠し持っていたフォークで、テリー・ファンクの右腕をめった刺しにしたのです。溢れ出す大量の血に、場内は悲鳴と怒号に包まれ、失神者が続出したとも言われています。
このブッチャーのとんでもない反則攻撃に、さすがのテリー・ファンクも戦闘不能状態となりますが、包帯代わりのバンテージを腕にぐるぐると巻き付けるとリング上に復帰。
2人がかりで兄・ドリーをいたぶっていたブッチャーとシークを、怒りのナックルパンチで蹴散らし、見事、兄を救出したのです。
結局この試合は、テリー・ファンクの思わぬ反撃に混乱したブッチャー&シーク・コンビが、レフリーに苦し紛れの暴行を加えて反則負けとなり、ザ・ファンクスが「世界オープン・タッグ選手権」の覇者となりました。
この試合でテリー・ファンクが見せた、どんなに痛めつけられても諦めない不屈の闘志と、身体を張って兄を助けにいく兄弟愛が、プロレスファンの心を鷲づかみにし、これまでプロレス会場にはほとんどいなかった若い女子のファンが急増したんですよね。
やがて“テリー親衛隊”なるものまで登場し、プロレス会場で揃いのチアガール衣装を身につけた女の子たちが、ポンポンを持って応援する姿まで見られました。
近年のプロレスでも、俗に言う“プ女子”と呼ばれる女性ファンが急増していますが、このようにアイドル的人気を誇ったプロレスラーは、後にも先にもテリー・ファンクだけだと言われています。
テリー・ファンクの必殺技はローリング・クレイドル
テリー・ファンクの必殺技と言えば、当時の全日本プロレス中継のリングアナだった倉持隆夫アナが、よく「ファンク一家の伝家の宝刀“スピニング・トーホールド”」と連呼していたため、“スピニング・トーホールド”との印象が強いようです。
確かに、テリー・ファンクは若手の頃は、ファンク一家のお家芸とも言われる“スピニング・トーホールド”、さらにはテキサス・スープレックスやシュミット式バックブリーカーを得意技にしていました。
しかし、全盛期のテリー・ファンクの必殺技と言えば、高度なテクニックが要求される“ローリング・クレイドル”だと言われています。
この技は、スタンド状態から相手の左足に自分の左足をフックし、両手で相手の右足をホールドして後ろに倒れ込み、相手の肩をマットにつけてフォール狙ったり、股裂きでギブアップを狙う「オクラホマ・ヘイライド」という古典的な技に、テリー・ファンクが改良を加えたものなんですよね。
「オクラホマ・ヘイライド」の体勢からローリングを何度も繰り返すことで、相手の三半規管を狂わせ、ピンフォールを奪ったり、より股裂きを決めやすくするという、テリー・ファンクオリジナルの技が「ローリング・クレイドル」です。
テリー・ファンクが人気絶頂の中、膝のケガを理由に39歳で引退
そんなテリー・ファンクは、人気絶頂だった1983年、ヒザの故障を理由に引退を宣言しました。引退に際して、テリー・ファンクは次のような言葉を残しています。
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本名: テレンス・ファンク
リングネーム: テリー・ファンク、テリブル" テリー・ファンク、チェーンソー・チャーリー
ニックネーム: テキサス・ブロンコ、テキサスの荒馬、リビング・レジェンド
誕生日: 1944年6月30日
出身地: アメリカ合衆国インディアナ州レイク郡ハモンド
身長: 188cm
体重: 118kg(全盛時)
職業: 元プロレスラー、元俳優
トレーナー: ドリー・ファンク・シニア、ドリー・ファンク・ジュニア
デビュー: 1965年12月9日
引退: 2017年