日露戦争をわかりやすく解説!原因や死者数、勝敗と勝てた理由は?

日露戦争とは何だったのか?わかりやすく紹介

日露戦争とは何だったのか?わかりやすく紹介

日露戦争とは日本とロシアによって行われた戦争のこと。開戦は1904年。このときは朝鮮半島と満州の支配権をめぐって両国間で争われ、満州南部や遼東半島、さらには日本海が戦場となりました。最終的には「ポーツマス条約」が結ばれたことで終戦となり、戦争は幕を閉じました。

日露戦争の目的は何?

日露戦争の目的は何?

日露戦争の目的をわかりやすく一言で言うと、「朝鮮半島にまで来たロシアから自国の独立と安全を守るため」です。ロシアは南下政策によって満州や朝鮮半島へと軍を進め、これを知った日本は「ロシアに植民地にされる」という危機感から軍を出動。

朝鮮半島ではロシアと激しい戦いをして、最後は日本海にて海戦が行われました。

日露戦争の原因は何?戦争までの経緯もわかりやすく解説

日露戦争の原因は何?

日露戦争の原因は何?

日露戦争の原因は日本が当時の中国である「清国」から「遼東半島」の一部を譲り受ける際、ロシアが同半島の返還を請求してきたことがきっかけとなっています。

ロシアが干渉してきたことで日本は開戦準備を勧め、日露戦争がはじまることとなりました。

日露戦争の原因①~下関条約

日露戦争の原因①~下関条約

日本は当時清国との「日清戦争」が終わり、講和条約である「下関条約」を清国と結んでいました。この中で「遼東半島」の一部を日本へ譲るという内容があり、これは日本と清国の両国で合意。

「下関条約」は日本有利な条約で、他にも台湾やその近辺にある澎湖諸島、賠償金を清国から受け取る予定でした。

日清戦争は1894年から1895年に日本と清国の間に起きた戦争で、最終的には清国が講和を申し出たことで終結へと至りました。ですが、ちょうど同じ頃にロシアは「南下政策」で東アジアへと徐々に侵攻していて、これが日露戦争勃発へとつながります。

日露戦争の原因②~三国干渉

日露戦争の原因②~三国干渉

日清戦争が終結したあと、南下政策を取っていたロシアが日本と清国のやり取りに干渉。これを「三国干渉」と言います。ロシアは日本が遼東半島の一部を領土とすることに不服を立て、このときは同調したフランスとドイツからも日本は「返還しろ」と指摘を受けます。

このときは日清戦争が終わったばかりで、日本の軍事力は疲弊した状態。日本はこれを渋々承諾することとなりました。

ロシアの南下政策は単に領土拡大というだけでなく、年間を通して凍結することが無い「不凍港」の獲得が大きいと言われています。当時のロシアは結氷して使えなくなる港が非常に多く、東アジアだけでなく、東ヨーロッパのバルカン半島や中央アジアにも南下政策を取っていました。

日露戦争の原因③~ロシアへの警戒を強め軍事力を強化

日露戦争の原因③~ロシアへの警戒を強め軍事力を強化

日本は三国干渉のあと、ロシアへの警戒を強め、日清戦争で得た賠償金を使い、軍事力の強化に努めます。そのため、このときはすでに対ロシア戦を見据えていたとも思われます。ちなみに軍事力強化に注いだのは日清戦争の賠償金の86%だと言われていて、当時は日本国内で軍が圧倒的な力を持っていたことも伺えます。

日露戦争の原因④~ロシアが満州へ軍を派遣

日露戦争の原因④~ロシアが満州へ軍を派遣

その後、清国国内では「義和団事件」が発生。この内乱を鎮めるという名目でロシアは満州へ軍を派遣します。この事件を鎮圧したロシアはそのまま清国北部に軍を配備したままとなり、実質満州をロシアが占領することになりました。

義和団事件は当時の清国で結成された義和団が生活に苦しむ農民たちなどを集めて起こした暴動で、その後は義和団を鎮圧した「北清事変」が起こり、争いが鎮まりました。このときはロシア以外の国も清国へ軍を派遣していて、義和団鎮圧後は清国へ賠償金を請求しました。

日露戦争の原因⑤~日英同盟

日露戦争の原因⑤~日英同盟

ロシアが満州に軍を置き続けたことに危機感を抱いた日本は同じくロシアに対して警官心を強めていたイギリスと「日英同盟」を結びます。これはロシアのアジア進出を防ぐことが目的とされていて、当時イギリスは清国の支配を進めていたため、日本と目的が一致。本格的に開戦の準備に取り掛かりました。

日英同盟はロシアのアジア進出を防ぐ名目で結ばれましたが、その後も日本とイギリスは第二次日英同盟、第三次日英同盟を結んでいます。最終的には第一次世界大戦の終戦処理までこの条約は続き、これは日本が初めて欧米諸国と対等に結んだ条約だと言われています。

日露戦争の原因⑥~ロシアとの交渉

日露戦争の原因⑥~ロシアとの交渉

日本は日英同盟のあと、ロシアとの交渉に入ります。ここでは「日本はロシアの満州支配を認める代わりにロシアは日本の朝鮮半島支配を認めろ」という話し合いが行われました。ですが、ロシア側は朝鮮半島の38度以北を中立地帯にして軍事目的での使用を禁ずる提案をし、交渉は難航してしまいました。

日本ではロシアとの交渉に入る前、日本政府内部で「対ロシア主戦派」と「戦争回避派」にわかれて議論が行われていました。この会議では最終的にロシアと交渉することが決まりましたが、当時は主戦派よりも戦争回避派の意見が優勢だったようです。

日露戦争の原因⑦~開戦へ

日露戦争の原因⑦~開戦へ

日本はロシアへの交渉に入りましたが、最終的に話し合いの決着はつかず、ついに日本はロシア側へ国交断絶を言い渡してしまいます。この交渉決裂によっていよいよ日露戦争は開戦となり、激しい戦いが行われました。

日露戦争の開戦から終戦までわかりやすく解説

日露戦争の開戦から終戦まで①~奇襲攻撃から宣戦布告

日露戦争の開戦から終戦まで①~奇襲攻撃から宣戦布告

ロシアとの交渉決裂後、1904年2月6日に日本海軍がロシア船2隻を拿捕。その後、日本海軍とロシア艦隊が小競り合いを起こします。この戦闘をきっかけに清国・旅順港にいた日本海軍の駆逐艦が同年2月8日にロシア艦隊へ奇襲攻撃を仕掛けます。

その翌日もロシア艦隊への攻撃は続き、同年2月10日に日本はロシアへ宣戦布告を行いました。

日本はロシアとの交渉が決裂し、奇襲攻撃から宣戦布告となりましたが、当時はロシアのほうが軍事力は圧倒的に上で、日本は不利だと言われていました。そのため、日本は不利を理由に同盟を結んでいたイギリスからも協力が得られず、自国のみの力で戦争を行うことになりました。

日露戦争の開戦から終戦まで②~旅順での戦闘

日露戦争の開戦から終戦まで②~旅順での戦闘

宣戦布告後、日本陸軍が朝鮮半島へ上陸。清国・鴨緑江岸でロシア軍を破った日本は遼東半島にも陸軍を派遣し、南山にあったロシア軍陣地を攻略してしまいます。

その後は旅順にある要塞を攻略するため、日本軍は各地でロシア軍と戦闘。年が明けた1905年1月1日にロシア側が降伏し、同要塞は日本軍が確保に成功しました。

明治37-38年(1904-05) 日露戦争 陸戦編

出典:YouTube

日露戦争の開戦から終戦まで③~奉天会戦

日露戦争の開戦から終戦まで③~奉天会戦

旅順の要塞を確保した日本は続いてロシアが拠点にしていた奉天へと進みます。この戦いは「奉天会戦」と呼ばれ、非常に激しい戦闘が行われ、日本は壊滅寸前になりながらも奉天の占領に成功。ただ、ロシア側は壊滅したわけではなく、あくまで撤退という姿勢を取り、ロシア軍の壊滅には至りませんでした。

日露戦争の開戦から終戦まで④~アメリカが和平交渉へ動いた

日露戦争の開戦から終戦まで④~アメリカが和平交渉へ動いた

日本軍が奉天を占領したあと、日本はアメリカへ和平交渉を依頼し、当時の大統領であるセオドア・ルーズベルトがロシアへ交渉を始めます。ですが、ロシア側はすでにバルチック艦隊を日本海へ向けて勧めており、この艦隊の活躍に期待していたため、和平交渉を拒否。ここから日本とロシアの海戦がスタートします。

セオドア・ルーズベルトのプロフィール

セオドア・ルーズベルトのプロフィール

名前:セオドア “テディ”・ルーズベルト
生年月日:1858年10月27日
出身地:アメリカ合衆国
職業:アメリカ合衆国第26代大統領、軍人、政治家

日露戦争の開戦から終戦まで⑤~日本海海戦

日露戦争の開戦から終戦まで⑤~日本海海戦

和平交渉が決裂したあと、ロシアのバルチック艦隊が日本海へ到着。1905年5月27日に東郷平八郎率いる連合艦隊との戦い始まりました。この海戦で日本側の連合艦隊は圧倒的な強さを見せ、ロシアのバルチック艦隊はほとんどが沈められてしまいます。

この海戦の勝利は近代海戦では類を見ないほどの圧倒的な勝利に終わり、当初不利と思われていた日本軍は世界中にその強さを見せつける結果となりました。

ロシアは日本との和平交渉拒否の姿勢を取っていましたが、日本海海戦での敗戦により、その姿勢は一変。日本との和平に乗り出すこととなりました。ちなみに当時のロシアは国内でも内乱が起きていて、戦争継続が難しくなったのも和平に乗り出した理由となっています。

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