明治37-38年(1904-05) 日露戦争 海戦編

出典:YouTube

日露戦争の開戦から終戦まで⑥~ポーツマス条約にて終戦

日露戦争の開戦から終戦まで⑥~ポーツマス条約にて終戦

日本海海戦が終わったあと、日本とロシアはアメリカが仲介に入って和平を結びます。これは「ポーツマス条約」と言い、アメリカ・ニューハンプシャー州ポーツマス近郊にある造船所にて締結しました。条約が調印するまでは話し合いが数ヶ月に渡って行われましたが、これにより日露戦争は終結することとなりました。

日露戦争における死者数について

日露戦争の死者数はどれぐらいだったの?

日露戦争の死者数はどれぐらいだったの?

日露戦争によって出た日本側の死者数は「約8万4千人」です。この死者数は非常に多く、日露戦争の前に行われた日清戦争と比べるとなんと「10倍」ほども多いのだとか。

ちなみに戦死と戦傷死は「5万5655人」で、病死は「2万7192人」でした。

戦傷者もかなり多い

戦傷者もかなり多い

日露戦争は死者数が非常に多いことで知られていますが、戦傷者もどうように多く、その数はなんと「14万3千人」。戦争に参加した非常に多くの人が傷を負っていて、過酷な戦いだったことが伺えます。

戦争に参加した人の数は「100万人超え」

戦争に参加した人の数は「100万人超え」

日露戦争は非常に多くの人が参加していて、その数はおよそ「108万人」と言われています。ちなみにこの数は純粋な軍人だけの数ではなく、軍に所属する文官や技術者といった軍属も含まれています。

非常に数多くの人が動員されていることを見ると、日本がこの戦争をどれだけ重要視していたのかが伺えます。

ロシア側の死者数はどれぐらい?

ロシア側の死者数はどれぐらい?

一方のロシア側も日露戦争ではかなり多くの死者数を出していて、日本側と大差ない「8万1千人」ほどとされています。ロシア側も日本の攻撃に必死に抗い、意地でも南下政策を成功させようとしていただけに、かなりの被害を出しました。

日露戦争に費やされた費用がすごい

日露戦争に費やされた費用がすごい

日本はなんとかロシアの南下政策を食い止めるために戦いましたが、この戦争で費やされた費用はなんと「20億円」。現在の価値に換算すると「2兆6000億円」に相当するのだとか。

この莫大なお金は日本国内だけでなく、諸外国からの借金も含まれていて、戦争にかかる費用がどれだけ大きいのかを知ることができます。

戦後日本は厳しい財政難に

戦後日本は厳しい財政難に

日本は日露戦争が終わったあと、莫大なお金を軍事費用に使ったことで財政難に陥ります。このときは国の財政がひっ迫していたため、その負担は国民へ。国民は高額な税金を取られることとなり、この財政難は第一次世界大戦まで続くこととなりました。

日露戦争の勝敗!日本が勝てた理由は何?

日露戦争の勝敗は「日本の勝利」

日露戦争の勝敗は「日本の勝利」

日露戦争の勝敗は「日本の勝利」です。日本は「旅順要塞奪取」や「奉天の占領」、さらに「日本海海戦での大勝利」があり、ロシアとの戦いではつねに勝利を収めています。

日露戦争の終結自体はポーツマス条約によるものですが、勝敗という目線で見れば日本の勝利と言えるでしょう。

当時の日本に勝てる見込みは少なかった

当時の日本に勝てる見込みは少なかった

日本は日露戦争を始めるから「不利な戦い」だと言われていて、当時は日本国内においても「厳しい」という見方が多かったのだとか。当時のロシアは軍事力が非常に高く、東アジアだけでなく、東ヨーロッパや中央アジアにも進出していました。また、バルチック艦隊という圧倒的な武力を有していて、当時の日本にはそれとやり合えるだけの軍事力はありませんでした。

当時の日本がロシアに勝てた理由①~日英同盟

当時の日本がロシアに勝てた理由①~日英同盟

当時の日本がロシアに勝てた理由としてまず最初に挙げられるのが「日英同盟」です。当時のイギリスは日本に直接的なサポートを行ったわけではないようですが、この同盟の裏でイギリスは間接的に日本をサポートすることに。じつは日本海海戦へ赴いたバルチック艦隊はそれまでの航路でことごとくイギリス領の港に立ち寄っていて、このときはイギリス側が入港を拒否したことでバルチック艦隊は補給できないまま戦場へと向かっていました。

ロシアのバルチック艦隊は過去にイギリスの漁船を誤って攻撃したことがあり、この影響もあってイギリスはロシアへ不満を募らせることに。

その後、ヨーロッパから日本海へ向かう途中のバルチック艦隊はイギリス領のアフリカやインドの港へ補給に向かうもイギリスから入港を拒否され、食料や燃料などの補給はほとんどできないままだったようです。

当時の日本がロシアに勝てた理由②~疲弊したバルチック艦隊

当時の日本がロシアに勝てた理由②~疲弊したバルチック艦隊

先ほども触れましたがロシアのバルチック艦隊はイギリスの漁船を誤って攻撃したことで、日本海までの航路にあるイギリス領の港からはことごとく入港を拒否されていました。

そのため、食料や燃料は乏しく、日本海に到着する頃にはロシアの船員は皆かなり疲弊した状態だったのだとか。そこに万全の態勢で待ち構えていた連合海軍と対峙することとなり、あっという間に敗れてしまいました。

じつはポーツマス条約が無ければ危なかった?

じつはポーツマス条約が無ければ危なかった?

日露戦争はアメリカで行われた「ポーツマス条約」によって終戦となりましたが、じつはこれが無ければ日本も危なかったと言われています。じつは日本海海戦が終わったあと、日本側は多くの人を失い、莫大な軍事費用も使っていたことからすでに戦える状態ではなかったのだとか。

そのため、日本側としては何としてもポーツマス条約を締結させる必要があり、アメリカ側も和平に尽力してくれたおかげ戦いを終わらせることができました。

ポーツマス条約の話し合いの場でロシア側は「まだ負けていない」と主張していたようで、「継戦も辞さない」とやる気満々だったのだとか。ただ、ロシア側も疲弊していたのは事実であり、まともに戦える状態では無かったのだとか。

そのため、ロシア側は条約締結まで強硬な姿勢を見せていて、もとポーツマス条約が無ければ共倒れのような状態になっていたかもしれません。

日露戦争で日本が得たものは何だったのか?賠償金は受け取れなかった?

日露戦争で日本が得たもの①~満州と朝鮮からのロシア軍撤退

日露戦争で日本が得たもの①~満州と朝鮮からのロシア軍撤退

ポーツマス条約で日本は「ロシアの満州および朝鮮からの撤退」を要求。これはロシア側にも受け入れられ、日本は見事ロシアを退かせることに成功。これにより日露戦争の勝者としての体裁を保ちました。

日露戦争で日本が得たもの②~樺太南部の割譲

日露戦争で日本が得たもの②~樺太南部の割譲

ポーツマス条約で日本はロシアに対し「樺太南部の割譲」も要求。ロシア側もこれを承諾し、樺太南部は日本の支配下となりました。

ロシアから賠償金は受け取れなかった

ロシアから賠償金は受け取れなかった

日本はポーツマス条約でロシア側へ戦争賠償金も要求しています。当時の日本は莫大なお金を日露戦争に投じていて、すでに財政は火の車でした。ですが、ロシア側はこれを拒否。

結果、日本はこれを飲むことで合意となり、勝者の体裁を守りつつ、ロシアとの継戦を回避することに成功しました。

賠償金が取れなかったことで国内では暴動が多発

賠償金が取れなかったことで国内では暴動が多発

日本はポーツマス条約にてロシアから賠償金を取ることができず、日本国内ではこれを不服とする国民で溢れかえります。国民側からすれば「なぜ勝ったのに賠償金を取れないのか」という思いで、その怒りが爆発。

日本中のいたるところで怒り狂った国民たちの暴動が起き、国内は一時騒然となります。

もっとも大きな暴動は「日比谷焼打事件」

もっとも大きな暴動は「日比谷焼打事件」

日露戦争後に行った国内の暴動の中でもっとも大きいのが「日比谷焼打事件」です。この事件はポーツマス条約に反対した国民が日比谷公園で集会し、内務大臣官邸や新聞社、交番などが焼き討ちされるという事件が発生します。ちなみに日露戦争で日本がどれだけ疲弊していたのか国民たちには知らされておらず、それがこうした暴動の要因となっています。

桂内閣は総辞職した

桂内閣は総辞職した

ポーツマス条約後の日本は各地暴動が起き、当時の桂内閣は事態収拾のための策を練ることに。その結果「内閣総辞職」という形で責任を取り、新たに西園寺内閣が立ち上がりました。

これにより日本各地で起きていた事件は沈静化することとなりましたが、この暴動事件では数多くの死傷者や逮捕者を出していました。

日露戦争の英雄は東郷平八郎!Z旗で日本軍を奮い立たせた?

日露戦争の英雄は東郷平八郎

日露戦争の英雄は東郷平八郎

日露戦争で英雄と呼ばれているのは当時の日本の海軍大将・東郷平八郎です。彼は日本海海戦で海軍の指揮を執った人物で、大勝利へと導いた立役者。

日露戦争では旗艦「三笠」に乗り、日本海海戦では敵前でUターンを決めた「東郷ターン」はあまりにも有名で、戦略に非常に長けていた人物でした。

東郷平八郎のプロフィール

東郷平八郎のプロフィール

名前:東郷 平八郎(とうごう へいはちろう)
生年月日:1848年1月27日
出身地:鹿児島県
職業:軍人
階級:元帥海軍大将

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