その後、視察のためサラエボを訪問したフランツ・フェルディナント夫妻

その後、視察のためサラエボを訪問したフランツ・フェルディナント夫妻

その後のフランツ・フェルディナント夫妻ですが、視察を含めてサラエボに訪問しました。

その時の画像がこちらですが、出発の際に笑顔で夫妻は送り迎えされています。

ルドルフ皇太子(オーストリア皇太子、フランツ・ヨーゼフ1世の息子)

ルドルフ皇太子(オーストリア皇太子、フランツ・ヨーゼフ1世の息子)

全名:ルドルフ・フランツ・カール・ヨーゼフ・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン
呼び名:ルドルフ皇太子
出身地:オーストリア帝国ラクセンブルク・ラクセンブルク宮殿
生年月日:1858年8月21日
没年月日:1889年1月30日(30歳没)
職業:オーストリア皇太子
配偶者:シュテファニー・フォン・ベルギエン

フランツ・ヨーゼフの息子・ルドルフ皇太子は父親との確執や革命運動の失敗により自殺

フランツ・ヨーゼフの息子・ルドルフ皇太子は父親との確執や革命運動の失敗により自殺

フランツ・ヨーゼフの息子・ルドルフ皇太子ですが、父親フランツヨーゼフ1世とは確執があったと見られています。

また、革命運動の失敗により自殺しており、当時の亡くなった写真なども残っています。

マキシミリアン(メキシコ皇帝、フランツ・ヨーゼフ1世の弟)

マキシミリアン(メキシコ皇帝、フランツ・ヨーゼフ1世の弟)

全名:フェルディナント・マクシミリアン・ヨーゼフ・マリア・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン
呼び名:マキシミリアン、マクシミリアーノ1世
出身地:オーストリア帝国ウィーン・シェーンブルン宮殿
生年月日:1832年7月6日
没年月日:1867年6月19日(34歳没)
職業:メキシコ皇帝
配偶者:カルロータ・デ・ベルギカ

マキシミリアンは1869年に「メキシコ皇帝」即位問題で既にメキシコで処刑されていた

マキシミリアンは1869年に「メキシコ皇帝」即位問題で既にメキシコで処刑されていた

オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の弟はマキシミリアンといいます。

マキシミリアンは1869年に「メキシコ皇帝」即位問題にて、既にメキシコで処刑されていました。

そのためオーストリア皇帝の跡継ぎ候補には入ることがありませんした。

フランツ・フェルディナント大公が愛した妻・ゾフィーは伯爵の娘で、ハプスブルク家とは身分が違いすぎた

フランツ・フェルディナント大公が愛した妻・ゾフィーは伯爵の娘で、ハプスブルク家とは身分が違いすぎた

フランツ・フェルディナント大公がオーストリア皇帝の候補となりましたが、実は問題があったようです。

彼が愛した妻・ゾフィーは伯爵の娘であり、当時では地位が低い女性だったことが分かっています。

一方のフランツ・フェルディナント大公はハプスブルク家の血筋で、家族としては身分が違いすぎた問題があったようです。

結婚をする代わりに条件として、フランツ・フェルディナント大公は皇太子から「皇位継承者」に降格していた

結婚をする代わりに条件として、フランツ・フェルディナント大公は皇太子から「皇位継承者」に降格していた

フランツ・ヨーゼフ1世は最初、甥にあたるフランツ・フェルディナント大公の結婚を反対していました。

しかし、フランツ・フェルディナント大公はそれを拒否し、条件を元に結婚を行います。

その条件とは皇太子を「皇位継承者」に降格、違いは息子が自動的に皇位継承権を持たない形になるというものです。

1914年6月28日、結婚記念日にサラエボで軍事パレードを行ったフランツ・フェルディナント夫妻

1914年6月28日、結婚記念日にサラエボで軍事パレードを行ったフランツ・フェルディナント夫妻

1914年6月28日、フランツ・フェルディナント夫妻は結婚記念日にサラエボで軍事パレードを行いました。

この日はオーストリアが採用していたグレゴリオ歴でもおめでたい日にあたります。

一方、セルビアで6月28日はユリウス暦・6月15日となり「コソボの戦い」敗戦の日と重なってしまった

一方、セルビアで6月28日はユリウス暦・6月15日となり「コソボの戦い」敗戦の日と重なってしまった

一方のオーストリアと敵対するセルビアは、6月28日はユリウス暦・6月15日にあたります。

セルビアにとって6月15日は「コソボの戦い」敗戦の最悪な日と重なってしまいました。

この日の結婚記念日の軍事パレードの警護の人数は約60人、通常よりも少ない人数だった

この日の結婚記念日の軍事パレードの警護の人数は約60人、通常よりも少ない人数だった

6月28日の結婚記念日の軍事パレードですが、セルビアの事情を知らずに実行されました。

その日の警護の人数は約60人で、通常よりも少ない人数だったそうです。

サラエボ市庁舎に向かってミリャツカ川沿いに6台のパレード車が10時にスタート

サラエボ市庁舎に向かってミリャツカ川沿いに6台のパレード車が10時にスタート

結婚記念日の軍事パレードはサラエボ市庁舎を目指し、ミリャツカ川沿いの道路を通りました。

同時に6台のパレード車が10時にスタートし、先頭にはフランツ・フェルディナント夫妻が乗っていたようです。

10時10分、チュムリア橋付近でパレード車に何者かに爆弾を投げ込まれる

10時10分、チュムリア橋付近でパレード車に何者かに爆弾を投げ込まれる

軍事パレード開始から10分後の10時10分、チュムリア橋付近でパレード車が爆撃にあいました。

何者かに爆弾を投げ込まれたことが判明しましたが、爆撃は夫妻ではなく別の車に当たっていたようです。

残り5台のパレード車はサラエボ市庁舎へと急いだ

残り5台のパレード車はサラエボ市庁舎へと急いだ

6台あったうちのパレード車は残り5台となりましたが、軍事パレードは続行することになります。

パレード車はサラエボ市庁舎へと急ぎ、図の右の赤い部分に移動することにしました。

サラエボ市庁舎でスピーチを終えて、負傷者に会うためにサラエボ病院へと向かった一行

サラエボ市庁舎でスピーチを終えて、負傷者に会うためにサラエボ病院へと向かった一行

サラエボ市庁舎で無事にスピーチを終えたフランツ・フェルディナント大公は、妻と一緒に再びパレード車に乗り込みます。

今度は負傷した人に会って無事を確認するため、図4のサラエボ病院へと向かいます。

ルート変更の伝達がフランツ・フェルディナント夫妻の乗っていた先頭車に上手く伝わっていなかった

ルート変更の伝達がフランツ・フェルディナント夫妻の乗っていた先頭車に上手く伝わっていなかった

オーストリア皇帝の指示により、パレード車はルート変更の伝達があったようです。

しかし、何かしらのトラブルでフランツ・フェルディナント夫妻の乗っていた先頭車に上手くルート変更の伝達が伝わっていませんでした。

ラテン橋の角の少し奥のカフェに停車したパレード車

ラテン橋の角の少し奥のカフェに停車したパレード車

ちょうどラテン橋の所に来た軍事パレード車ですが、角の少し奥のカフェに停車をしました。

理由としてはルート変更の確認のためだったようで、そこでフランツ・フェルディナント夫妻は車の中で待つことになります。

しかし、パレード車はオープンカーであり、非常に目立つ状態だったことが分かっています。

カフェには偶然、暗殺者グループの1人が立ち寄っており、すぐさま夫妻に向けて発泡した

カフェには偶然、暗殺者グループの1人が立ち寄っており、すぐさま夫妻に向けて発泡した

カフェ(現在は博物館)には偶然、暗殺者グループの1人が立ち寄っていました。

いつでも暗殺を狙っていたグループのため、フランツ・フェルディナント夫妻にすぐに気づいたようです。

夫妻に向けて発泡しており、そこでサラエボ事件が起こってしまいました。

1914年6月28日、軍事パレード中に停車したカフェに居合わせた犯人にフランツ・フェルディナント夫妻は銃殺された「サラエボ事件」

1914年6月28日、軍事パレード中に停車したカフェに居合わせた犯人にフランツ・フェルディナント夫妻は銃殺された「サラエボ事件」

1914年6月28日、結婚記念日の軍事パレード中に伝達トラブルにより、ラテン橋近くのカフェで停車していました。

そこに居合わせた犯人にフランツ・フェルディナント夫妻は銃殺されています。

2人とも狙われて発泡を受けて2人はその後に死亡、これを「サラエボ事件」と呼びます。

サラエボ事件の犯人(素顔)について

サラエボ事件の犯人:ガヴリロ・プリンツィプ

サラエボ事件の犯人:ガヴリロ・プリンツィプ

本名:ガヴリロ・プリンツィプ
出身地:共同統治国ボスニア・ヘルツェゴヴィナ オブリャイ
生年月日:1894年7月25日
没年月日:1918年4月28日(23歳没)
職業:セルビアの活動家、テロリスト

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