ピナトゥボ山とは

ピナトゥボ山とは?

ピナトゥボ山とは?

ピナトゥボ山とはフィリピンのルソン島西側にある山のことで、サンバレス州、バターン州、パンパンガ州の境界に位置しています。標高は1745mあり、周囲の峰々と比べても200mほど高いだけの地味な山です。

山の周囲は広範囲に渡ってジャングルとなっていて、麓のあたりは農耕地にも適した自然豊かな場所として知られています。

ピナトゥボ山の周辺地域は地元民の居住地

ピナトゥボ山の周辺地域は地元民の居住地

ピナトゥボ山の周囲は自然豊かで農耕に適しているため、多くの地元民が生活を送っていることでも知られていて、麓や斜面には先住民であるアエタ族も暮らしていました。

周辺地域には田畑が多く、その近辺には数多くの集落もあり、数万人規模の街も存在しています。

ピナトゥボ山は火山!1991年に起こった噴火がヤバい

ピナトゥボ山は火山だった

ピナトゥボ山は火山だった

ピナトゥボ山はじつは火山帯の連峰のひとつで、ユーラシアプレートの下にフィリピン海プレートが潜り込む形でできた「沈み込み火山」として有名でした。

そのため、周囲は火山灰土壌となっていて、非常に農耕に適していることから麓には多くの田畑が広がっていました。

長年噴火は無かった

長年噴火は無かった

ピナトゥボ山は火山ではあったものの、長年噴火をしたことはなく、周辺地域に暮らす地元民の間でもそういった言い伝えはありませんでした。最後に噴火したのは15世紀の頃だったようで、数百年前の出来事であるため、多くの人は「噴火しない」といった認識が強かったようです。

1991年に大噴火を起こした

1991年に大噴火を起こした

ピナトゥボ山は1991年6月7日に大噴火を起こしたことで知られています。このときは大きなきのこ雲ははるか頭上まで吹き上がり、その高度はなんと「19㎞」。

最初は小規模な爆発から始まり、次第に大爆発を起こし、このときは「火砕流」や「火山雷」なども発生して世界中のメディアに報じられました。

Eruption of Mount Pinatubo 1991 - YouTube

出典:YouTube

ピナトゥボ山の噴火の前兆について

ピナトゥボ山噴火の前兆①~バギオ大地震

ピナトゥボ山噴火の前兆①~バギオ大地震

ピナトゥボ山の噴火にはいくつかの前兆があったことがわかっていて、そのきっかけは1990年7月16日にピナトゥボ山があるルソン島中央部で起きた「バギオ大地震」です。この地震は「マグニチュード7.8」の揺れを起こし、地元の街では多くの家屋が倒壊するなどして大災害となりました。ただ、ちなみにこの地震がピナトゥボ山噴火の原因かどうかはハッキリしていません。

ピナトゥボ山噴火の前兆②~地震後には山から蒸気が出ていた

ピナトゥボ山噴火の前兆②~地震後には山から蒸気が出ていた

バギオ大地震が起こった2週間後、ピナトゥボ山から蒸気が出ているのを地元民が確認。このときはすぐに調査が行われたものの、科学者たちは「噴火活動ではない」と判断。「小さな地すべり」だとして誰も噴火の前兆とは思わなかったのだそうです。

ピナトゥボ山噴火の前兆③~噴火の3ヶ月前から断続的な地震が発生

ピナトゥボ山噴火の前兆③~噴火の3ヶ月前から断続的な地震が発生

ピナトゥボ山が噴火を起こす3ヶ月前の1991年3月15日に周囲で断続的な地震が発生。このときは火山の北西部周辺で揺れが起こり、以降は地震は強さを増していきます。断続的に起こる地震に地元民たちはすでに異変を感じ取っていたようですが、このときはまだ火山の噴火と断定することはできませんでした。

ピナトゥボ山噴火の前兆④~噴火の2ヶ月前から火山活動が活発に

ピナトゥボ山噴火の前兆④~噴火の2ヶ月前から火山活動が活発に

ピナトゥボ山は噴火を起こす2ヶ月前の1991年4月2日に山の山頂から下に向かって1.5㎞の亀裂が生じ、その後水蒸気爆発を起こしました。以降は数週間にわたって小規模な噴出が続き、周辺には火山灰が降り積もるようになります。

これによって火山が眠りから覚めたことが判明。毎日数百件もの「火山性微動」を検知するなど、噴火が起こることは誰の目から見ても明らかでした。

ピナトゥボ山噴火の前兆⑤~大爆発の前兆

ピナトゥボ山噴火の前兆⑤~大爆発の前兆

ピナトゥボ山は火山活動が活発になり、1991年5月26日に噴気孔の周辺で初めて地震を観測。これはマグマが噴気孔の直下まで迫ってきていることを示唆していて、さらにその2日後からは二酸化硫黄の放出量が急激に減少。マグマが何かに遮られたことでガスの放出が妨げられ、一気に噴出する可能性が発覚。6月3日からはマグマが漏れ出すようになり、最初のマグマ性噴火が発生しました。

ピナトゥボ山噴火の避難について

ピナトゥボ山噴火の避難①~頂上から10㎞圏内が避難

ピナトゥボ山噴火の避難①~頂上から10㎞圏内が避難

ピナトゥボ山は様々な噴火の前兆が起こったことで、1991年4月7日に初めて頂上から10㎞圏内に避難命令が下されます。周辺地域の住民は避難を余儀なくされ、火山の麓近辺から人は姿を消しました。

また、山の麓や斜面で生活を送っていた先住民のアエタ族は自発的に避難していたようで、全員山頂から12㎞離れた村に身を寄せていました。

ピナトゥボ山噴火の避難②~警戒レベルは地震の数日前から上昇

ピナトゥボ山噴火の避難②~警戒レベルは地震の数日前から上昇

ピナトゥボ山は噴火の様々な前兆がありましたが、本格的に警戒レベルが引き上げられたのは噴火の数日前から。噴火の2日前には「警戒レベル3(2週間以内に大噴火の可能性あり)」、当日には「警戒レベル4(24時間以内に大噴火の可能性あり)」となり、ここでようやく山頂から20㎞までの地域に非難命令がくだされました。

ピナトゥボ山噴火の避難③~噴火の2日後には避難地域が半径40㎞にまで広がった

ピナトゥボ山噴火の避難③~噴火の2日後には避難地域が半径40㎞にまで広がった

ピナトゥボ山の噴火が起こった2日後には「警戒レベル5(大噴火継続中)」に引き上げられ、山頂から40㎞までの範囲が避難地域となります。ただ、このときは一気に非難が開始されたわけではなかったようで、完全に住民の避難が完了したのは1週間後の6月15日でした。このときは約6万人が避難をすることとなり、首都のマニラと旧首都のケソンにそれぞれ避難所が設けられ、そこへ避難することとなりました。

ピナトゥボ山噴火の激化から絶頂まで

ピナトゥボ山噴火の激化から絶頂①~溶岩ドームの形成

ピナトゥボ山噴火の激化から絶頂①~溶岩ドームの形成

ピナトゥボ山は大噴火を起こす前に山頂で溶岩ドームが形成されていることが確認されています。溶岩ドームは山の内部に溶岩が溜まってできる地形のことで、上空から見ると丸く膨れ上がった形に見えることからその名が付けられました。

このときの溶岩ドームは5日ほどかけて徐々に大きくなり、最大で直径200m、高さは40mにまでなっていたのだそうです。

ピナトゥボ山噴火の激化から絶頂②~噴火の激しさが増して大爆発を起こした

ピナトゥボ山噴火の激化から絶頂②~噴火の激しさが増して大爆発を起こした

ピナトゥボ山は噴火が確認されて以降は溶岩ドームを形成していましたが、1991年6月12日に噴火の激しさが増大。このときは夜中から強さを増していき、午前8時50分頃に大爆発が発生しました。

この爆発で大きな噴煙が起こり、灰が空を覆い、周囲には火砕流が発生。地震を繰り返し、翌日にも再び大爆発が発生しました。

ピナトゥボ山噴火の激化から絶頂③~6月15日に噴火は絶頂を迎えた

ピナトゥボ山噴火の激化から絶頂③~6月15日に噴火は絶頂を迎えた

ピナトゥボ山は最初の大爆発から合計で4回の大爆発を起こし、6月15日に絶頂を迎えます。このときは台風が近づいていたこともあり、雨と一緒にゴルフボール大の軽石が降り注いだのだとか。その後、地震計の針が振り切れるほどの揺れが起こり、再び大爆発が起こりました。このときは台風で噴火の様子はわからなかったようですが、3時間ものあいだ噴火が続きました。

ピナトゥボ山噴火の影響がすごい!その後や日本の冷夏についても紹介

ピナトゥボ山噴火の影響は計り知れない

ピナトゥボ山噴火の影響は計り知れない

ピナトゥボ山は大噴火を何度も起こしたことで周囲近辺だけでなく、世界中に影響を及ぼしていて、日本では冷夏も観測されています。また、当時はその後の山の様子にも注目が集まり、噴火後の火山近辺の村の大半は壊滅するなど、住民たちがもっともその影響を受けることとなりました。

ピナトゥボ山噴火の影響について

ピナトゥボ山噴火の影響①~町中火山灰で覆われた

ピナトゥボ山噴火の影響①~町中火山灰で覆われた

ピナトゥボ山は大噴火を起こしたことで、大量の火山灰が降り続け、街は火山灰で覆われることとなりました。このときは空も街も灰色に包まれ、中には降り続いた灰などによって建物が埋もれてしまうことも。さらに火山灰が降り続いたことによる家屋の倒壊は多く、屋根が押しつぶされて亡くなった人は800人を超えるのだそうです。

ピナトゥボ山噴火の影響②~住民たちの生活基盤の破壊

ピナトゥボ山噴火の影響②~住民たちの生活基盤の破壊

ピナトゥボ山の大噴火は島に暮らしていた住民たちの生活基盤をことごとく破壊し、とくに麓周辺に暮らしていた人たちは元の場所での生活が送れなくなってしまいました。周辺地域の村は火山の噴火で壊滅状態となり、先住民のアエタ族にいたっては全員が低地での暮らしを余儀なくされ、アエタ族固有の文化は失われてしまいました。

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