ムッソリーニはどんな人?

ムソリーニは、ドイツのアドルフ・ヒトラーと並ぶ独裁者の代名詞で、「悪い人」という印象が強い政治家です。

一方で、精力的に政治に取り組んできた人物でもあり、さまざまな顔をもつ人物として知られています。

そんなムッソリーニの経歴や身長を紹介していきます。

ムッソリーニのプロフィール

ムッソリーニのプロフィール

出生地:イタリア プレダッピオ
生年月日:1883年7月29日
死亡日:1945年4月28日, イタリア アッツァーノ ジュリーノ
孫:アレッサンドラ・ムッソリーニ、 ファブリツィオ・チャーノ、 ライモンダ・チャーノ、ガレアッツォ・チャーノ他
政党:イタリア戦闘者ファッシ
配偶者:ラケーレ・グイーディ (1915年~1945年)

ムッソリーニの身長

ムッソリーニの身長

ムッソリーニの身長は169cmということがわかっています。

写真ではヒトラーと並んで行進していますが、確かにヒトラーも身長はそんなに高くなかったはず。

そのヒトラーよりも若干低く感じますね。顔写真を見ると大柄な雰囲気ですが意外でした。

ムッソリーニの経歴をダイジェストに紹介

ヒトラーに匹敵するような独裁者のムッソリーニは、どのような経歴を持っているのでしょう。

彼の経歴をダイジェストにまとめていきます。

1883年~1908年まで

1883年~1908年まで

・1883年:イタリア王国のプレダッピオ市で誕生しました。
・1901年:フォルリンポーポリ師範学校を首席で卒業し、その後教師となるがすぐに退職しスイスを放浪しながら生活。

・1908年:オネーリアの寄宿学校でフランス語教師となり、政治活動でも地方機関紙の編集長となります。
・1912年:社会党最大の日刊紙「アヴァンティ」の編集長となります。

1914年~1919年まで

1914年~1919年まで

・1914年:第一次世界大戦において社会党の路線を見限り、アヴァンティの編集長を辞任。社会党からも除名処分を受けます。
・1915年:第一次世界大戦に従軍し活躍。
・1919年:新たな政党「イタリアンファッシ」を設立します。

1922年~1945年まで

1922年~1945年まで

・1922年:「ローマ進軍」を行い政権を獲得。
・1924年:反政府運動が起こりますが鎮圧に成功し「独裁宣言」を行うことに。
・1935年:第二次エチオピア戦争を起こします。
・1939年:第二次世界大戦が勃発し、参戦します。
・1940年:日独伊三国同盟を結びます。
・1943年:独裁権を返上し幽閉されますが、ドイツに救出されることに。
・1945年:ドイツ支援により建国したイタリア社会共和国の指導者となりますが、再度失脚し処刑されます。

ムッソリーニは何した人?

ムッソリーニがヒトラーに匹敵するほどの悪行を行ったことは、歴史を知らない人でもなんとなくわかるほど有名です。

実際には何をした人なのでしょう。ここからはムッソリーニの少年時代から亡くなるまでの道のりを紹介していきます。

学校では成績優秀だが問題児だった

学校では成績優秀だが問題児だった

1883年7月29日、イタリアのプレダッピオで無神論者の父親と敬虔なカトリック信者の母親との間に生まれます。

学校では成績優秀でしたが、身分による不平等と教会で説かれる平等論の間に矛盾を感じて、度々教師との間で問題を起こしていたため、監視されていたということ。

寄宿学校では、上級生たちと喧嘩をしたりミサの妨害をしたりして退学処分を受けています。

師範学校では哲学や政治学、歴史学の分野の本を読み漁り、教養を高めて首席で卒業。また、イタリア社会党の支持者で、演説の場で持論を展開する名演説家でした。

2度の逮捕

2度の逮捕

師範学校卒業後は1年間教師として勤めますが、その後見聞を高めるとしてスイスに移住し、放浪生活を送ります。ムッソリーニはその間にフランス語とドイツ語をマスターします。

この頃から共産主義者からマルクス・レーニン主義の教育を受けて、本格的な政治活動に傾倒します。

スイスに滞在していた頃に労働運動に参加し、労働組合の事務局長などを務めましたが、1930年のストライキに参加して逮捕され、国外追放処分を受けます。

更に、イタリアに帰国すると、兵役期間に海外に滞在したことが原因で再び逮捕。釈放と同時に兵役に就き、退役後は再び教職に就きます。

社会党を除名処分後ファシスト党を結成

社会党を除名処分後ファシスト党を結成

教職に就く一方で政治活動にも拍車がかかり、社会党の地方誌の編集長に抜擢され、数々の記事執筆を行います。その後教職を辞めて政治活動に没頭するようになります。

1914年には第一次世界大戦の影が、ヨーロッパにも忍び寄ってきます。イタリア社会党の機関誌編集長だったムッソリーニは、参戦論を唱え始め、平和主義との間で社会党の対立が始まります。

一時は中立を宣言したムッソリーニでしたが、社会党に見切りをつけて参戦への持論を唱え始めます。結果的に社会党から除名処分を受けて、第一次世界大戦に志願兵として参戦。

その後、ムッソリーニは新しい組織である「戦闘ファッショ」を結成。それが後のファシスト党に展開していきます。

ムッソリーニの一党独裁政治の始まり

ムッソリーニの一党独裁政治の始まり

反議会主義、反社会主義を唱えたファシスト党は、愛国心や戦争礼」、偉大なるイタリアを掲げ、ファシストたちを先導していきます。

その後1922年に39歳の若さで、第27代イタリア王国首相に任命されます。すると、選挙法の改正に反発する人間を次々に暗殺し、一党独裁制の野望を果たしたのでした。

ムッソリーニの功績

ムッソリーニの功績

ファシスト党立ち上げ後にムッソリーニが残した功績は沢山あります。

・大規模な教育改革を進め、現在のイタリアにおける教育制度の基盤となる政策を実施。

・社会党時代の小作人や労働者の権利も縮小させる地主・企業家の側に立った経済改革を進めて、頻繁に行われていたストライキが減少し生産力を向上させる。

・財政健全化の一方で公共投資が大々的に行われ、高速道路を本土全域に建設するアウトストラーダ(自動車専用道路)計画を実施。

・警察国家の推進によって、マフィアをはじめとする犯罪組織が徹底的な取り締まりを受け、その殆どを壊滅状態に追い込んで経済犯罪を減少させる。

ドイツと同盟を結ぶ

ドイツと同盟を結ぶ

1934年、ムッソリーニは、同じファシズム的支配体制をとる国として、ドイツの統治者であるヒトラーと初めての会談を行い、枢機国(日本・ドイツ・イタリア三国)として同盟を結びます。

思想は同じファシズムでしたが、お互いの考え方自体は違っていたようです。

しかしヒトラーの人柄を非難しいていた

しかしヒトラーの人柄を非難しいていた

ムッソリーニはヒトラーの政治思想には賛同していたものの、ヒトラーのやり方には陰ながら苦言を呈していたようです。

ヒトラーによる「長いナイフの夜事件(ドイツ労働者党が行ったSAに対する粛清事件)」を聞いた際に「あの男は野蛮人だ。あの殺し方はなんだ」と旧友を冷酷に処刑したことへの嫌悪感を口にしていたということ。

「ヒトラーと自分の違いは、自分が二流国の一流指導者であるのに対し、

彼は一流国の二流指導者だということだ」
イタリア ファシズム体制の終焉

イタリア ファシズム体制の終焉

ドイツ、ヒトラーとの同盟で枢軸国となったムッソリーニの独裁政権に対して、反発する動きが強まっていました。それに追い打ちをかけたのが、第二次世界大戦への参戦と敗戦だったのです。

1943年、第二次世界大戦の戦況が悪化すると、ファシスト党内でクーデターが勃発。ムッソリーニは失脚してしまいます。

捕まったムッソリーニはしばらくの間幽閉されますが、ドイツの救出により再びファシスト党に返り咲きます。

しかし1945年、枢軸国三国が連合国に敗戦。ムッソリーニは再び失脚し、連合国の支援を受けたパルチザンによって捕らえられ、愛人のクラレッタと共に銃殺されました。

その後、ミラノのロレート広場のガソリンスタンドで、他の処刑されたファシストたちとともに逆さ吊りにされました。

写真左から4人目がムッソリーニでその右が愛人クラレッタです。

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