ラモス瑠偉のプロフィール

プロフィール

プロフィール

名前:ラモス瑠偉(ラモスるい)
生年月日:1957年2月9日
出身地:ブラジル・リオデジャネイロ
身長:181cm
職業:元サッカー選手、サッカー指導者、フットサル選手、タレント
所属事務所:LDH JAPAN

現在は東京ヴェルディのチームダイレクターとして活躍

現在は東京ヴェルディのチームダイレクターとして活躍

2004年にJリーグの監督を務めるために必要なJFA公認S級コーチライセンスを取得したラモス瑠偉さんは、2005年にビーチサッカー日本代表の監督に就任すると、2018年には3度目となるビーチサッカー日本代表監督に就任するも、2019年にビーチサッカー日本代表監督を退任しています。

そんなラモス瑠偉さんは2020年2月から東京ヴェルディのチームダイレクターに就任し、活躍しています。

ラモス瑠偉の昔の若い頃!全盛期の凄さや実力まとめ

引退した現在もサッカー指導者、フットサル選手としてサッカーに携わるラモス瑠偉さん。ここではラモス瑠偉さんの昔の若い頃をご紹介します。

幼少期からサッカーに励み、18歳でクラブに加入

幼少期からサッカーに没頭

幼少期からサッカーに没頭

ブラジル・リオデジャネイロから遠く離れた小さな町で5男1女の第4子として生まれ育ったラモス瑠偉さんは、大のサッカー好きの父親の影響で幼少期からサッカーに没頭し、いくつものサッカークラブのセレクションを受けるも不合格に終わっていたのです。

サッカーに没頭のあまり高校を中退

サッカーに没頭のあまり高校を中退

その後1966年の9歳の時に父親の死により大きなショックを受けたラモス瑠偉さんは、家族でサンパウロに移住すると、高校では母親が呆れるほどサッカーに没頭し、高校へも通わずサッカーとアルバイトに明け暮れたのです。

そして18歳の終わりに当時サンパウロ州にあるサージFCに加入したラモス瑠偉さんでしたが、レギュラーに定着して活躍するまでには至らなかったのです。

スカウトにより来日し、黄金期を牽引

20歳の時に読売サッカークラブに加入

20歳の時に読売サッカークラブに加入

しかし19歳の時に転機が訪れたラモス瑠偉さんは、当時、読売サッカークラブ(現・東京ヴェルディ)に在籍していた与那城ジョージにスカウトされ、家族の反対がある中で1977年の20歳の時に来日し、読売サッカークラブに加入したのです。

来日早々、1年間の出場停止に

来日早々、1年間の出場停止に

そして来日後はFWとしてプレイしていたラモス瑠偉さんでしたが、若さと日本語が分からないという葛藤の中、1978年1月に出場した日産自動車戦でファウルを受けた相手選手がオーバーアクションで倒れ一発退場となると、処分の瞬間に相手選手が笑ったことに激高し相手選手をグラウンドで追い掛け回し、1年間の出場停止処分を受けたのです。

復帰後は二冠を獲得

復帰後は二冠を獲得

そんなラモス瑠偉さんは1979年に謹慎処分が明けると、2試合連続ハットトリックを含む14得点7アシストを記録し、得点王・アシスト王の二冠を獲得したのです。

しかしその後、事故による怪我などに苦しめられたラモス瑠偉さんでしたが1983年に復活すると、1986年からMFに下がり10番を背負い、1990年から2年連続で日本年間最優秀選手賞とアシスト王、3年連続ベストイレブンとキャリア円熟期に達したのです。

ラモス瑠偉の全盛期の凄さ

Jリーグ開幕と共に、チームの黄金期を築き上げる

Jリーグ開幕と共に、チームの黄金期を築き上げる

そして1993年にJリーグが開幕しヴェルディ川崎になった後も、当時36歳で大ベテランだったラモス瑠偉さんはチームの中心選手としてJリーグ創生期のクラブ黄金時代を支える活躍を続け、チームを優勝に導いたのです。

【ヴェルディ川崎】
Jリーグチャンピオンシップ 優勝(1993年、1994年)
JリーグNICOSシリーズ 優勝(1993年、1994年、1995年)
Jリーグヤマザキナビスコカップ 優勝(1993年、1994年)
富士ゼロックス スーパーカップ(1994年、1995年)
サンワバンクカップ(1994年)
史上最強の10番と称されたラモス瑠偉

史上最強の10番と称されたラモス瑠偉

そんなラモス瑠偉さんの全盛期のプレイは、正確でボールタッチが柔らかく、これだけ素晴らしいパスを出せる選手はいないと称され、日本の史上最強の10番と言われたのです。

出典:YouTube

日本代表でも中心選手として活躍

1990年に初選出以降、遺憾なく実力を発揮

1990年に初選出以降、遺憾なく実力を発揮

さらにラモス瑠偉さんは1989年に日本国籍を取得すると、翌1990年のアジア競技大会で日本代表に初選出され、1991年のキリンカップ初優勝に貢献したのです。

その後、1992年にオフト監督が日本代表監督に就任するも、目指すサッカーの違いから関係が上手くいかなくなると、オフト監督の批判をマスコミ上で展開し、一時は代表を外されかねない危機もあったのです。


1993年、ドーハの悲劇を経験

1993年、ドーハの悲劇を経験

しかしオフト監督と和解したラモス瑠偉さんは日本代表を外れることはありませんでしたが、あの今も語り継がれる『ドーハの悲劇』を経験することとなったのです。

ドーハの悲劇とは、1993年10月のアジア最終予選・ドーハでの最終戦のイラク戦で勝てば自力での本大会出場が決まる中、2対1で迎えたアディショナルタイムで同点とされ、悲願のワールドカップ初出場を逃しのです。

関連するキーワード

関連するまとめ

エンセン井上の元嫁は山本美憂!結婚と子供・離婚原因を総まとめ

格闘家やプロレスラーとして活躍し、格闘技イベントPRIDEにも出演していたエンセン井上さんは過去に離婚歴があ…

sumichel / 6752 view

真木蔵人の現在!逮捕やその後の仕事・今の年収も総まとめ

若い頃は二世俳優として大活躍した真木蔵人さんですが、2016年には逮捕され世間を騒がせています。そこで今回は…

sumichel / 2762 view

ラルフ鈴木の現在!手越祐也との不祥事や処分を総まとめ

日本テレビのアナウンサーとして活躍しているラルフ鈴木さんですが、2018年にNEWS手越祐也さんと未成年の飲…

sumichel / 2718 view

水沢アリーはハーフ?本名や生い立ち・父と母や兄弟まとめ

バラエティ番組などで活躍していたタレントの水沢アリーさんは、生い立ちや父親と母親や兄弟などが話題になっていま…

shasser / 1893 view

八村塁の年俸と身長!中学と高校時代の活躍・NBAでの評価と海外の反応を総まとめ

NBAのワシントン・ウィザーズでプレーしている八村塁。彼は中学・高校時代からすでに活躍していて、NBAでも高…

aquanaut369 / 804 view

田中マルクス闘莉王の家族!結婚や嫁と子供/父親と母親や兄弟まとめ

元プロサッカー選手の田中マルクス闘莉王さんについて、家族の話題が挙がっています。田中マルクス闘莉王さんの父親…

cyann3 / 1960 view

水沢アリーと槙野智章の熱愛と破局!その原因も総まとめ

水沢アリーさんはサッカー日本代表選手の槙野智章さんと熱愛、家族も認める仲で結婚間近とも言われていましたが破局…

Mrsjunko / 647 view

同じカテゴリーの記事

同じカテゴリーだから興味のある記事が見つかる!

メドウズ舞良はハーフ!家族(親と兄)や出身高校と大学など総まとめ

ファッションモデルとして大きな人気を獲得しているメドウズ舞良。学生時代から音楽やスポーツに慣れ親しみ、高校時…

aquanaut369 / 541 view

ケンブリッジ飛鳥の彼女は町田弥生?結婚の噂も総まとめ

オリンピックで銀メダルも獲得したことがある短距離走選手のケンブリッジ飛鳥。過去に超美人の彼女との関係が報じら…

aquanaut369 / 704 view

マイク眞木と元嫁・前田美波里の結婚と子供(息子)・離婚原因など総まとめ

長年俳優として活動を続けているマイク眞木は歌手・前田美波里と結婚していたこともあり、これまでに結婚歴が3回あ…

aquanaut369 / 1478 view

相原勇の旦那と子供!過去の結婚と離婚・再婚について総まとめ

「いか天」で大ブレイクした女優でタレントの相原勇。現在ハワイで旦那と一緒に暮らしていて、その旦那とは再婚なん…

aquanaut369 / 4054 view

宮里かおりの身長や体重!胸カップサイズからファッションまでを総まとめ

ブレイキングダウンで注目を集めた宮里かおり。非常にスタイルが良いことで知られていて、その身長や体重、そして胸…

aquanaut369 / 1123 view

BENI(歌手)はハーフ!本名や年齢・父親と母親など家族まとめ

ハーフ歌手として人気を集めているBENI。ハーフであることからその家族や経歴について気になる人は多く、どうい…

aquanaut369 / 8157 view

細川バレンタインの身長と経歴&大学や学歴!勤務先の会社も銀行だった

プロボクサーとして大きな人気を獲得している細川バレンタイン。その生い立ちや学歴、経歴が特殊で、素性が気になる…

aquanaut369 / 3912 view

アクセスランキング

人気のあるまとめランキング

スポンサードリンク

"); } })(jQuery);