リンカーン大統領はプロフィール

エイブラハム・リンカーン

エイブラハム・リンカーン

本名:エイブラハム・リンカーン
出身地:アメリカ合衆国ケンタッキー州 ラルー郡
生年月日:1809年2月12日
没年月日:1865年4月15日
身長:193cm
職業:政治家、弁護士、アメリカ合衆国・第16代大統領
任期:1861年3月4日 – 1865年4月15日
愛称:エイブ (Abe)、奴隷解放の父

第16代・アメリカ合衆国大統領に就任

第16代・アメリカ合衆国大統領に就任

リンカーン大統領(エイブラハム・リンカーン)は第16代・アメリカ合衆国大統領に就任した方です。

「奴隷解放の父」とも呼ばれており、アメリカの南北戦争の集結に大きく関わりました。

幼少期から苦労・努力をした人物であり、数々の名言も残っています。

2012年には伝記映画「リンカーン」などで再注目されている

2012年には伝記映画「リンカーン」などで再注目されている

リンカーン大統領の過去のエピソードについて、2012年に伝記映画「リンカーン」が公開されています。

こちらはスティーヴン・スピルバーグ監督が手掛けており、リンカーン大統領就任後の歴史が描かれています。

アカデミー賞に最多12部門にノミネートし、現在も注目される映画人気作です。

映画『リンカーン』特別映像 - YouTube

出典:YouTube

映画「リンカーン」の特別映像

リンカーン大統領はどんな人、生い立ちについて

1809年にケンタッキー州ラルー郡の農家に生まれる

1809年にケンタッキー州ラルー郡の農家に生まれる

リンカーン大統領はどんな人なのか、生い立ちについて注目が集まっています。

1809年にリンカーン大統領はアメリカのケンタッキー州ラルー郡の農家に生まれました。

幼少期は丸太小屋に住み、父親は農場を売り買いや郡の奴隷警邏隊員として生計を立てていました。

領土拡張を目指していた当時のアメリカ合衆国

領土拡張を目指していた当時のアメリカ合衆国

リンカーン大統領が生まれた1809年ですが、当時のアメリカは今ほどの領土を獲得していませんでした。

領土拡大を目指し、フロンティア精神に目覚めつつあるアメリカ国民の1人でした。

しかし、同時にアメリカ南部では黒人奴隷を使う時代であり、リンカーン大統領も当時はその様子を目の当たりにしていました。

ですが、リンカーン大統領の一家は厳格な道徳規範を持ちながら、「飲酒」「ダンス」「奴隷制度」に反対の姿勢を見せていたそうです。

7歳の時に家庭の貧困と土地売買のトラブルにより、インディアナ州スペンサー郡へ転居

7歳の時に家庭の貧困と土地売買のトラブルにより、インディアナ州スペンサー郡へ転居

リンカーン大統領が7歳の時、家庭の貧困と土地売買のトラブルにより、住んでいた自宅を離れることになりました。

一家はインディアナ州スペンサー郡へ転居し、自由州(奴隷のいない州)で過ごしました。

9歳の時に母親ナンシーの死を経験していたリンカーン大統領

9歳の時に母親ナンシーの死を経験していたリンカーン大統領

リンカーン大統領が9歳の時、母親ナンシーは34歳の頃にミルク病に掛かって亡くなっています。

ミルク病は毒草を食べた牛の乳を飲む病気であり、リンカーン大統領は若くして母親の死を経験しました。

1832年にブラック・ホーク戦争に従軍

1832年にブラック・ホーク戦争に従軍

リンカーン大統領は1832年(23歳頃)にはブラック・ホーク戦争に従軍しました。

当時1人で住んでいたイリノイ州ではインディアン連合(ソーク族・フォックス族)との戦争がありました。

この戦争に「イリノイ州民兵隊・大尉」として参加しましたが、戦争はせずに政治活動のために3ヶ月で除隊しています。

1832年よりイリノイ州議会議員選挙に出馬し、2度目の1834年(25歳)に当選

1832年よりイリノイ州議会議員選挙に出馬し、2度目の1834年(25歳)に当選

リンカーン大統領は1832年にイリノイ州議会議員選挙に出馬しています。

愛するイリノイ州を成長させるために政治に興味を持ち、雄弁家として人気を集めました。

1度目の出馬では落選しましたが、2度目の1834年(25歳)に当選しています。

1836年から法廷弁護士として経験を積み、1846年に合衆国下院議員選挙に選出

1836年から法廷弁護士として経験を積み、1846年に合衆国下院議員選挙に選出

リンカーン大統領は法律にも興味があり、1836年から法廷弁護士として経験を積みました。

1846年に合衆国下院議員選挙に選出し、任期を1期(2年間)務めています。

当初はホイッグ党(後の自由党・自由民主党)でしたが、1854年より支持政党を共和党に変更しています。

1861年にアメリカ大統領となり、亡くなる1865年まで任期を務めた

1861年にアメリカ大統領となり、亡くなる1865年まで任期を務めた

リンカーン大統領は1861年3月4日に第16代・アメリカ大統領に就任しました。

1865年4月15日に亡くなるまでに大統領の任期を約4年間務めています。

下院議員時代から演説に定評があり、主に北部のアメリカ国民の支持を得ての当選・就任となりました。

リンカーン大統領の過去の功績

1860年代は南北に分かれていたアメリカ合衆国

1860年代は南北に分かれていたアメリカ合衆国

リンカーン大統領がアメリカ大統領だった1860年代はアメリカが南北に分かれていました。

北部は商業や貿易が発達しており、南部は農業を行っている時代でした。

そのため北部と南部の格差が広がり、社会問題になっている状態だったと言えます。

アメリカ南部では綿花プランテーション産業が労働の大半を占めていた

アメリカ南部では綿花プランテーション産業が労働の大半を占めていた

アメリカ南部では「綿花プランテーション産業」というものが労働の大半を占めていました。

また、人口は北部と南部で「2.5対1」という状態で、さらに北部への移住をする方もいたようです。

そのためアメリカ南部の人々は必死で働き、労働力を必要としていました。

アメリカ南部では黒人奴隷を労働力にする「奴隷制」を採用していた

アメリカ南部では黒人奴隷を労働力にする「奴隷制」を採用していた

アメリカ南部ではヨーロッパから連れてこられた「黒人奴隷」を労働力にしていました。

いわゆる「奴隷制」を採用しており、奴隷労働に甘んじる状態だったと言えます。

1860年頃のアメリカは「自由州」「奴隷州」に二分されていた

1860年頃のアメリカは「自由州」「奴隷州」に二分されていた

1860年頃のアメリカは大きく「自由州」「奴隷州」の2つに区分されていました。

生活環境などが大きく違いがあり、自由州の発展により溝が深まるばかりでした。

1863年1月1日にリンカーン大統領が行った「奴隷解放宣言」

1863年1月1日にリンカーン大統領が行った「奴隷解放宣言」

1861年3月4日に大統領に就任したリンカーン大統領ですが、当時のアメリカは「自由州」「奴隷州」に分かれていました。

個人的には議員時代から奴隷反対の意向は示していましたが、所属していた北軍にも5つの奴隷州が存在していました。

そのためこの奴隷解放宣言は「南部(連合支配地域)の奴隷解放」を目的としたものでした。

1861年4月から1865年5月まで続いた「南北戦争」

1861年4月から1865年5月まで続いた「南北戦争」

1861年4月12日から1865年5月9日にかけて、アメリカの北部・南部では「南北戦争」が勃発しました。

黒人奴隷を使いたい南軍とそれを反対する北軍に分かれて、激しい戦争状態となりました。

南北戦争では「北軍」が勝利

南北戦争では「北軍」が勝利

約4年間続いた南北戦争では「北軍」が勝利となり、南部の奴隷開放に導く戦争となりました。

勝因としては銃の発達が北軍に軍配が上がり、さらに奴隷州にいる北軍同調者を補強したことが大きかったようです。

南北戦争後の1865年に「奴隷制廃止」となった

南北戦争後の1865年に「奴隷制廃止」となった

南北戦争後の1865年にアメリカ合衆国憲法修正第13条が成立しています。

この法律により実質的な「奴隷制廃止」となり、リンカーン大統領は大きな功績を上げることになりました。

リンカーン大統領の逸話・エピソード

本好きだった少年時代はは「イソップ童話」「聖書」「シェイクスピア作品」などの本を読んでいた

本好きだった少年時代はは「イソップ童話」「聖書」「シェイクスピア作品」などの本を読んでいた

リンカーン大統領は少年時代は本が好きで、「イソップ童話」「聖書」「シェイクスピア作品」などを読んでいたと言います。

当時のアメリカの正式な教育は「巡回教師から受ける18か月間の授業」だったそうです。

その他は独学で学問を学び、多くの本を借りて、さらには詩集やアメリカ史・イギリス史を学んでいたそうです。

リンカーン大統領が顎ひげを生やすきっかけは少女グレース・ベデルの手紙だった

リンカーン大統領が顎ひげを生やすきっかけは少女グレース・ベデルの手紙だった

リンカーン大統領はヒゲを生やした姿のイメージが強いですが、それにはある少女とのエピソードが有りました。

きっかけは少女グレース・ベデルさんの手紙だったようで、その手紙には「髭を生やしたらいかが」という言葉が添えられていたようです。

その言葉に感銘を受けたリンカーン大統領は以降、顎ひげを生やすようになりました。

リンカーン大統領の暗殺は「北部弱体化」を狙ったもの

リンカーン大統領の暗殺は「北部弱体化」を狙ったもの

リンカーン大統領は1865年4月14日、フォード劇場にて後ろから頭部を射殺されて亡くなっています。

犯人は北軍・メリーランド州出身の俳優ジョン・ウィルクス・ブースで、1.2mの至近距離から拳銃による射殺でした。

殺害理由は犯人が「南軍と奴隷制の猛烈な支持者」であり、「異常な強迫観念があった」と分析されています。

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