アレキサンダー大王のプロフィール

アレキサンダー大王(アレクサンドロス3世)

アレキサンダー大王(アレクサンドロス3世)

本名:アレクサンドロス3世
通称:アレクサンドロス大王
出身地:ペラ
生年月日:紀元前356年7月20日
死去日:紀元前323年6月10日(バビロン)
父親:ピリッポス2世
母親:オリュンピアス
配偶者、ロクサネ、スタテイラ、パリュサティス
子女:アレクサンドロス4世、ヘラクレス

マケドニア王国を栄えさせた若きカリスマ・アレキサンダー大王

マケドニア王国を栄えさせた若きカリスマ・アレキサンダー大王

アレキサンダー大王(アレクサンドロス3世)はマケドニア王国(現:ギリシャ)を栄えさせた若きカリスマになります。

その領土はかなり大きなもので、若き天才・戦術の天才などとも呼ばれています。

「東方遠征」と「ヘレニズム文化」が大きな功績

「東方遠征」と「ヘレニズム文化」が大きな功績

アレキサンダー大王は「東方遠征」にて、領土を大きく広げていったことが有名です。

さらにアレキサンダー大王が東方遠征を行った結果、紀元前4世紀~紀元前1世紀に栄えた「ヘレニズム文化」を生み出すこととなりました。

アレキサンダー大王の生涯と歴史

紀元前356年、マケドニア王国の首都・ペラで生まれる(現ギリシャ・ペラ)

紀元前356年、マケドニア王国の首都・ペラで生まれる(現ギリシャ・ペラ)

アレキサンダー大王は紀元前356年、マケドニア王国の首都・ペラで誕生しました。

現在のギリシャではありますが、当時はマケドニア王国の中にあった地域の1つでした。

古代マケドニア王国の王子として生まれた

古代マケドニア王国の王子として生まれた

古代マケドニア王国の王子として生まれたアレキサンダー大王でしたが、当時のマケドニア王国はギリシャの半分以下の領域でした。

この領域拡大のためにアレキサンダー大王が活躍、その領域を伸ばすこととなっていきます。

アレキサンダー大王の家庭教師だったアリストテレス

アレキサンダー大王の家庭教師だったアリストテレス

アレキサンダー大王は子供時代、家庭教師に哲学者・アリストテレスをつけていたことが分かっています。

アリストテレスからギリシャについて深く学んだというアレキサンダー大王ですが、そこまで影響はなかったという説も出ています。

アレキサンダー大王の父:ピリッポス2世

アレキサンダー大王の父:ピリッポス2世

本名:ピリッポス2世
別名:フィリッポス2世
出身地:マケドニア王国・ペラ
生年月日:紀元前382年
死去日:紀元前336年10月
称号:アルゲアス朝マケドニア王国のバシレウス(君主)

紀元前336年10月に死去、娘・クレオパトラの結婚式で暗殺される

紀元前336年10月に死去、娘・クレオパトラの結婚式で暗殺される

アレキサンダー大王の父・フィリッポス2世は紀元前336年10月に亡くなりました。

原因はアレキサンダー大王の妹・クレオパトラと妻の弟(叔父)のエペイロス王アレクサンドロスの結婚式で行われたようです。

これによりクレオパトラの結婚式の際、絶頂期と言われた時代に「衛兵隊長パウサニアス」という人物に暗殺されました。

パウサニアスは「元小姓(王に従える少年)」でしたが、新しく来た小姓への寵愛ぶりに嫉妬して罵り、その小姓は自殺同然で亡くなります。

その小姓の友人・アッタロスがパウサニアスに野蛮な男たちで襲わせますがフィリッポス2世は罰せず、ついにパウサニアスが暗殺という流れです。

紀元前338年(18歳頃)、カイロネアの戦いがデビュー戦だったアレキサンダー大王

紀元前338年(18歳頃)、カイロネアの戦いがデビュー戦だったアレキサンダー大王

アレキサンダー大王は紀元前338年に行われた「カイロネアの戦い」がデビュー戦だったそうです。

当時は無名だったアレキサンダー大王ですが「マケドニアVSアテネ・チーベ」に少なからず貢献したと言われています。

20歳でフィリッポス2世の王位継承

20歳でフィリッポス2世の王位継承

アレキサンダー大王は紀元前336年、父・ピリッポス2世が亡くなったことで「アレクサンドロス3世」として王位継承をしました。

そして、亡くなる紀元前323年までの約13年間、マケドニア王国拡大のために戦うこととなります。

当時のマケドニア王国はギリシャの半分以下の制圧領域だった(オレンジ部分)

当時のマケドニア王国はギリシャの半分以下の制圧領域だった(オレンジ部分)

当時のマケドニア王国はギリシャの半分以下の制圧領域でした。

また、当時のギリシャは「アテナイ(アテネ)」と「スパルタ」の2強時代だったことも分かっています。

当時の古代ギリシャでは「アテナイ」と「スパルタ」が台頭していた

当時の古代ギリシャでは「アテナイ」と「スパルタ」が台頭していた

古代ギリシャでは市民権を持つ都市国家「ポリス」がどんどんと出てくる時代でした。

その中でも「スパルタ(全体主義)」と「アテナイ(民主主義)」が政治的に対立しており、それとは別にマケドニア王国が存在している状態でした。

古代ギリシャ全土をマケドニア王国にしたアレキサンダー大王

古代ギリシャ全土をマケドニア王国にしたアレキサンダー大王

スパルタとアテナイの対立を上手く利用し、古代ギリシャ全土をマケドニア王国として統治しました。

アレキサンダー大王ここから「東方遠征」を行い、ギリシャ以外の領土を広げることを決定します。

紀元前334年(22歳頃)、東方遠征を開始

紀元前334年(22歳頃)、東方遠征を開始

紀元前334年にアレキサンダー大王は東に進みながら領土を拡大する「東方遠征」を開始しました。

この時のアレキサンダー大王の年齢は22歳頃で、かなり若かったことが発覚しています。

紀元前334年5月、グラニコス川の戦いで勝利

紀元前334年5月、グラニコス川の戦いで勝利

紀元前334年5月には東方遠征の最初の戦いとなる「グラニコス川の戦い」を行いました。

ギリシャ人傭兵とペルシャ人傭兵の戦いとなった戦争でしたが、見事に勝利を勝ち取りました。

紀元前333年10月(23歳頃)、イッソスの戦いで勝利、エジプトでファラオになる

紀元前333年10月(23歳頃)、イッソスの戦いで勝利、エジプトでファラオになる

アレキサンダー大王は紀元前333年10月、古代ギリシャ・アルゲアス朝とギリシャ・コリントス同盟の連合軍VS古代ペルシャ・アケメネス朝の「イッソスの戦い」で勝利しています。

この戦いはアレキサンダー大王の東方遠征で「2番目に大きな戦い」と言われており、この勝利によってエジプトでファラオの称号を得ています。

紀元前331年10月(25歳頃)、ガウガメラの戦いに勝利、ダレイオス3世を破る

紀元前331年10月(25歳頃)、ガウガメラの戦いに勝利、ダレイオス3世を破る

アレキサンダー大王は紀元前331年10月、ガウガメラの戦い(現・イラク北部)同じく「古代ギリシャ・アルゲアス朝とギリシャ・コリントス同盟の連合軍VS古代ペルシャ・アケメネス朝」の戦いで勝利しました。

この時、ペルシア軍を率いていたダレイオス3世を破り、見事に勝利を収めています。(別名:アルベラの戦い)

紀元前331年、エジプトにアレクサンドリアを建設

紀元前331年、エジプトにアレクサンドリアを建設

紀元前331年にアレキサンダー大王は東方遠征の最中、エジプトにアレクサンドリアを建設していました。(シル・ダリヤ河畔に建設)

ここはギリシア人を入植させて建設した都市と言われており、現在もエジプトで栄えている観光地として有名です。

紀元前326年5月(30歳頃)、ヒュダスペス河畔の戦いでインドに侵攻

紀元前326年5月(30歳頃)、ヒュダスペス河畔の戦いでインドに侵攻

アレキサンダー大王は紀元前326年5月にインドに侵攻、ヒュダスペス河畔の戦いを行いました。

ここではアルゲアス朝とインド諸侯の連合軍VSパウラヴァ族首長・ポロス率いる反アレクサンドロス・インド諸侯軍との戦いで勝利しています。(別名:ヒュダスペス川の戦い)

最終的に「小アジア」「シリア」「エジプト」を制服、「ペルシャ帝国」を滅ぼした

最終的に「小アジア」「シリア」「エジプト」を制服、「ペルシャ帝国」を滅ぼした

アレキサンダー大王は最終的に「小アジア」「シリア」「エジプト」を制圧しました。

さらに当時最強だったペルシャ帝国を破り、アレキサンダー大王の「東方遠征」は大成功となりました。

ペルシャ帝国(アケメネス朝・ペルシャ)はこれまで「最大領域の帝国」だった

ペルシャ帝国(アケメネス朝・ペルシャ)はこれまで「最大領域の帝国」だった

ペルシャ帝国はこれまで「最大領域の帝国」と言われており、その地域は現在のイラン、トルコ、エジプト、パキスタンまで及ぶ広大な地域でした。

そんな中でアレキサンダー大王は最強だったペルシャ帝国を破り、これだけの広大な地域を支配下におきました。

アレキサンダー大王がペルシャ帝国を制圧したのは「20代後半」だった

アレキサンダー大王がペルシャ帝国を制圧したのは「20代後半」だった

アレキサンダー大王がペルシャ帝国を制圧したのは20代後半だったと言われています。

当時のペルシャ帝国を束ねていたダレイオス3世を破り、アレキサンダー大王は若くして偉大な君主となっていきました。

アレキサンダー大王の配偶者の死因について

1人目の妻(配偶者):ロクサネ

1人目の妻(配偶者):ロクサネ

アレキサンダー大王の妻・配偶者として選ばれたのはバクトリア王国の王女・ロクサネでした。(ロクサネが16歳の時に結婚)

東方遠征、制圧のために結婚したとされるロクサネですが、それでもアレキサンダー大王は「愛情に負けた唯一の女性」と語ったそうです。

後にこのことはアレキサンダー大王の伝記(著者:プルタルコス)に記されており、本妻と言うべき立場の女性となります。

古代ペルシャに敬意を払っていたアレキサンダー大王

古代ペルシャに敬意を払っていたアレキサンダー大王

アレキサンダー大王は東方遠征後、古代ペルシャ文化に魅了されたと言われています。

そのため、ダレイオス3世を丁寧に祀り、ダレイオス3世の娘を妻にもらうこととなります。

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