ナポレオン・ボナパルトについて

ナポレオン・ボナパルト

ナポレオン・ボナパルト

出生名:ナポレオーネ・ディ・ブオナパルテ(ナポレオン・ボナパルト)
出生地:フランス領・コルシカ島・アジャクシオ
生年月日:1769年8月15日
没年月日:1821年5月5日(享年51歳)
職業:軍人、皇帝、革命家
称号:ナポレオン1世
在位:1804年5月18日-1814年4月11日、1815年3月20日-1815年6月22日

1804年から1814年、1815年に「フランス第一帝政の皇帝」を務めた

1804年から1814年、1815年に「フランス第一帝政の皇帝」を務めた

ナポレオン・ボナパルトは1804年から1814年、1815年に「フランス第一帝政の皇帝」を務めた人物です。

フランス革命後の混乱を収束させるため、自らに権力を集中させてフランス皇帝となりました。

また、軍事独裁政権を樹立し、ヨーロッパ全土を支配する作戦を企てていきました。

全盛期はヨーロッパ全土を統一した手腕を持つ

全盛期はヨーロッパ全土を統一した手腕を持つ

ナポレオン・ボナパルトの全盛期において、ヨーロッパ全土を統一した手腕を持っている方でもありました。

イギリス・ロシアとの戦いには破れてしまいますが、それ以外のヨーロッパ諸国のほとんどに勝利しています。

小学生でもわかる西洋史・フランス革命時代【西洋史第5弾】 - YouTube

出典:YouTube

ナポレオン・ボナパルトが活躍した「フランス革命時代」の説明動画

ナポレオン・ボナパルトの生涯

1769年、フランス・コルシカ島で誕生

1769年、フランス・コルシカ島で誕生

ナポレオン・ボナパルトの生涯ですが、1769年にフランス・コルシカ島で誕生しました。

ナポレオン少年はフランスではなく、フランスから少し離れた島・コルシカ島で生まれています。

イタリア系の人々が多い地で育ったナポレオン・ボナパルト

イタリア系の人々が多い地で育ったナポレオン・ボナパルト

ナポレオン・ボナパルトが生まれたコルシカ島ですが、元々イタリア系の人々が住んでいる島でした。

コルシカ島はフランスよりもイタリアに近く、元々イタリアの地でもありました。

しかし、フランスが後に支配し、フランス領土となっていきました。

ナポレオンが誕生する1年前にフランスに占領されたコルシカ島

ナポレオンが誕生する1年前にフランスに占領されたコルシカ島

ナポレオン・ボナパルトが誕生する1年前、フランスに占領されたのがコルシカ島でした。

そのためコルシカ島はイタリア人が多く、少し不慣れな生活を送っていたようです。

コルシカ島のイタリア貴族だった父親のシャルル・マリ・ボナパルト

コルシカ島のイタリア貴族だった父親のシャルル・マリ・ボナパルト

本名:カルロ・マリア・ディ・ブオナパルテ(シャルル・マリ・ボナパルト)
出身地:フランス・アジャクシオ
生年月日:1746年3月27日
没年月日:1785年2月24日
職業:イタリア貴族
配偶者:マリア・レティツィア・ボナパルト (1764年-)

イタリア・トスカーナ州の古い血統貴族であるブオナパルテ家

イタリア・トスカーナ州の古い血統貴族であるブオナパルテ家

ナポレオン・ボナパルトはイタリア・トスカーナ州の古い血統貴族であるブオナパルテ家に誕生しました。

16世紀にコルシカ島に移り住んだ一族で、イタリアにルーツがあることが分かります。

母親マリア・レティツィア・ラモリーノの12人の子供のうち、4番目の子供として誕生

母親マリア・レティツィア・ラモリーノの12人の子供のうち、4番目の子供として誕生

ナポレオン・ボナパルトは母親マリア・レティツィア・ラモリーノから生まれました。

母親のマリア・レティツィア・ラモリーノはジェノヴァ共和国の大尉ジョヴァンニ・ジェロニモ・ラモリノの娘として誕生しています。

また、12人の子供が誕生し、ナポレオン・ボナパルトは4番目の子供でした。

元々コルシカ独立を支援していたが、寝返ってフランス貴族の仲間入りをした「ブオナパルテ家」

元々コルシカ独立を支援していたが、寝返ってフランス貴族の仲間入りをした「ブオナパルテ家」

ナポレオン・ボナパルトが生まれた「ブオナパルテ家」ですが、元々はコルシカ独立を支援していました。

しかし、寝返ってフランス貴族の仲間入りをしたことで、フランス国民として生きることになります。

1779年、9歳の神学校(キリスト教を学ぶ学校)に通わせるため、ナポレオンをフランス本土に送った両親

1779年、9歳の神学校(キリスト教を学ぶ学校)に通わせるため、ナポレオンをフランス本土に送った両親

ナポレオン・ボナパルトは1779年、9歳の神学校(キリスト教を学ぶ学校)に通うことになります。

これは両親の計らいであり、ナポレオンはフランス本土に送られました。

神学校からすぐにフランス陸軍幼年学校に転校

神学校からすぐにフランス陸軍幼年学校に転校

ナポレオン・ボナパルトは神学校からすぐにフランス陸軍幼年学校に転校しています。

当時のナポレオンは素行が悪かったようで、それを正すためにフランス陸軍幼年学校に転校することになりました。

1784年(15歳頃)にパリ士官学校に入学し、1785年に卒業

1784年(15歳頃)にパリ士官学校に入学し、1785年に卒業

1784年(15歳頃)にナポレオン・ボナパルトはパリ士官学校に入学します。

さらに1785年に卒業をしており、驚異的なスピードで卒業をすることになります。

パリ士官学校を卒業後は「フランス革命政府の砲兵士官」に任命された

パリ士官学校を卒業後は「フランス革命政府の砲兵士官」に任命された

ナポレオン・ボナパルトはパリ士官学校を卒業後、「フランス革命政府の砲兵士官」に任命されました。

しかし、当時のナポレオン・ボナパルトは強い野望があったわけではなかったようです。

1789年にフランス革命が起こり、フランスの国内情勢は不穏なものとなっていった

1789年にフランス革命が起こり、フランスの国内情勢は不穏なものとなっていった

ナポレオン・ボナパルトがフランス革命政府にいた1789年、当時フランス革命が起こっていました。

市民が絶対王政を倒した「資本主義革命」と言われるものですが、これによりフランスの国内情勢は不穏なものとなっていきます。

革命に無関心だったナポレオンは故郷コルシカ島に戻る

革命に無関心だったナポレオンは故郷コルシカ島に戻る

ナポレオン・ボナパルトは当時、フランス革命に全くの無関心でした。

また、コルシカ民族主義者だったため、ナポレオンは故郷コルシカ島に戻ることになります。

当時、フランス革命一派のジャコバン派を支持していたナポレオン・ボナパルト

当時、フランス革命一派のジャコバン派を支持していたナポレオン・ボナパルト

故郷コルシカ島に戻ったナポレオン・ボナパルトでしたが、当時のナポレオンはすでにフランス革命一派のジャコバン派を支持していました。

そのためコルシカ島の人々と思想で大きな乖離が生まれることになります。

コルシカ島の独立運動を指導するパスカル・パオリと激しく対立

コルシカ島の独立運動を指導するパスカル・パオリと激しく対立

コルシカ島では独立運動を指導する、パスカル・パオリが台頭していました。

ナポレオン・ボナパルトはこのパスカル・パオリと激しく対立し、コルシカ島から追いやられることになります。

マクシミリアン・ロベスピエール(ジャコバン派のリーダー)

マクシミリアン・ロベスピエール(ジャコバン派のリーダー)

ナポレオン・ボナパルトが支持をしていたジャコバン派のリーダーですが、マクシミリアン・ロベスピエールという人物でした。

このマクシミリアン・ロベスピエールの計らいにより、ナポレオン・ボナパルトはフランス革命一派としての地位を確立していきます。

1793年、貴族士官の亡命という形でマクシミリアン・ロベスピエールの下、近衛猟騎兵大佐となる

1793年、貴族士官の亡命という形でマクシミリアン・ロベスピエールの下、近衛猟騎兵大佐となる

1793年にナポレオン・ボナパルトは貴族士官の亡命という形で、故郷コルシカ島から離れることになります。

さらにフランスではマクシミリアン・ロベスピエールの下、近衛猟騎兵大佐となりました。

ナポレオン・ボナパルトはこの近衛猟騎兵大佐の役職を大変気に入り、お気に入りの軍服を常に着用していました。

1794年、「テルミドールのクーデター」によりジャコバン派のリーダーであるマクシミリアン・ロベスピエールが倒れる

1794年、「テルミドールのクーデター」によりジャコバン派のリーダーであるマクシミリアン・ロベスピエールが倒れる

1794年、「テルミドールのクーデター」によりジャコバン派のリーダーのマクシミリアン・ロベスピエールが倒れてしまいます。

フランス革命を主導していたマクシミリアン・ロベスピエールが倒れたことで、フランスは大きく流れを変えていくことになります。

マクシミリアン・ロベスピエールの弟と親交のあったナポレオン・ボナパルトも逮捕

マクシミリアン・ロベスピエールの弟と親交のあったナポレオン・ボナパルトも逮捕

マクシミリアン・ロベスピエールと直接的な関係はなかったものの、その弟と親交があったのがナポレオン・ボナパルトでした。

そのためナポレオン・ボナパルトも逮捕されてしまい、これも1794年の出来事でした。

1795年、ヴァンデミエールの反乱でナポレオンは「革命政府から王党派(王政を支持する政党)を遠ざける任務」を受ける

1795年、ヴァンデミエールの反乱でナポレオンは「革命政府から王党派(王政を支持する政党)を遠ざける任務」を受ける

逮捕されていたナポレオン・ボナパルトでしたが、王党派(王政を支持する政党)の反乱で再び軍隊に戻ります。

1795年の「ヴァンデミエールの反乱」にて、ナポレオンは「革命政府から王党派を遠ざける任務」を受けることになります。

ナポレオンはパリ市内に砲兵を配備し、ぶどう弾で反乱を鎮圧

ナポレオンはパリ市内に砲兵を配備し、ぶどう弾で反乱を鎮圧

ナポレオン・ボナパルトは当時から軍事的手腕を持ち、パリ市内に砲兵を配備しました。

さらにぶどう弾で反乱を鎮圧、この功績が後に高く評価されることになります。

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