コソボ紛争の原因とは、わかりやすく解説

1998年2月から1999年6月までに起こった「コソボ紛争」

1998年2月から1999年6月までに起こった「コソボ紛争」

コソボ紛争は1998年2月から1999年6月までに起こった戦争になります。

旧ユーゴスラビアに位置するコソボと隣り合うセルビア間で行われた戦争です。

約1年間の戦争となり、現在でもそのコソボ紛争の原因が注目を集めています。

コソボは人口約180万人が住む国

コソボは人口約180万人が住む国

コソボは人口約180万人が住む国であり、正式名称は「コソボ共和国」になります。

コソボ共和国は東南ヨーロッパのバルカン半島に位置する一国で、多くがイスラム教徒を進行する人々が移り住んでいます。

6民族の調和を象徴するコソボの国旗

6民族の調和を象徴するコソボの国旗

また、上部に配置された6つの白い星はコソボに居住する6民族(アルバニア人、セルビア人、トルコ人、ロマ(アッシュカリィおよびエジプト人を含む)、ゴーラ人、ボシュニャク人)の調和と団結を表してると言われています。

元々コソボは旧ユーゴスラビアの自治州だった

元々コソボは旧ユーゴスラビアの自治州だった

コソボは元々旧ユーゴスラビアの自治州であり、ユーゴスラビアという国の一部でしかありませんでした。

現在は国として独立をしていますが、それは2000年代以降のことです。

旧ユーゴスラビアにはセルビアやクロアチア、スロベニアなどが含まれていました。

旧ユーゴスラビアからスロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナなどの国が次々と独立

旧ユーゴスラビアからスロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナなどの国が次々と独立

コソボ紛争が始まる以前、旧ユーゴスラビアからは様々な国々が独立を目指していきました。

スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナなどの国が次々と独立していった経緯があります。

その流れがコソボを動かし、コソボ紛争へと繋がるきっかけになったと言えます。

周辺の国々に見習い、独立を目指そうとしたコソボ

周辺の国々に見習い、独立を目指そうとしたコソボ

旧ユーゴスラビアの周辺国に見習い、コソボも独立を目指そうとしました。

しかし、隣国が簡単には独立を許さず、コソボはそのまま戦争に巻き込まれてしまいます。

コソボの人口10%が移り住んでいるセルビア人がコソボの独立に猛反発

コソボの人口10%が移り住んでいるセルビア人がコソボの独立に猛反発

コソボ紛争の問題として、コソボの人口10%にあたる「セルビア人の猛反発」がありました。

これによりコソボはすぐには独立できず、苦難の道を選ぶことになってしまいます。

コソボの多くがイスラム教である一方、セルビアはキリスト教であることが大きな対立要因

コソボの多くがイスラム教である一方、セルビアはキリスト教であることが大きな対立要因

セルビア人の反発の理由としては、コソボの人々の多くがイスラム教にあることが1つの大きなきっかけになりました。

一方のセルビア人の多くはキリスト教(セルビア正教徒)であり、宗教問題が絡んでいました。

セルビア人にとってコソボには「セルビア正教徒の聖地」があった

セルビア人にとってコソボには「セルビア正教徒の聖地」があった

他にもコソボにはセルビア人にとっての「セルビア正教徒の聖地」があるとされています。

コソボにセルビアの聖地があるという複雑な地形、関係性が続いていることが明らかとなりました。

コソボの独立を求めるアルバニア人武装組織とコソボ解放軍との戦闘が「コソボ紛争」

コソボの独立を求めるアルバニア人武装組織とコソボ解放軍との戦闘が「コソボ紛争」

コソボは独立を実現するために、アルバニア人武装組織というものを設立しました。

コソボの9割はアルバニア人であり、コソボを巡ったアルバニアとセルビアの戦いであることが明らかです。

そしてセルビアもコソボ解放軍として立ち向かい、これを「コソボ紛争」と呼びます。

【ゆっくり解説】未承認の国家も多いコソボってどんな国? - YouTube

出典:YouTube

コソボ紛争に関する動画

コソボ紛争が起こるまでの経緯

ユーゴスラビアの終身大統領:ヨシップ・ブロズ・チトー

ユーゴスラビアの終身大統領:ヨシップ・ブロズ・チトー

本名:ヨシップ・ブロズ・チトー
出身地:オーストリア=ハンガリー帝国
生年月日:1892年5月7日
没年月日:1980年5月4日(87歳没)
職業:ユーゴスラビアの軍人・政治家、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の第2代(終身)大統領
任期:1953年1月13日-1980年5月4日

1974年にヨシップ・ブロズ・チトーによりコソボに自治権が与えられた

1974年にヨシップ・ブロズ・チトーによりコソボに自治権が与えられた

1974年、コソボはヨシップ・ブロズ・チトーにより、コソボに自治権が与えられました。

これによりコソボは国としての機能を持ち、内政を行使できる権限を持ちました。

1980年にヨシップ・ブロズ・チトーが死去

1980年にヨシップ・ブロズ・チトーが死去

1980年にユーゴスラビア社会主義連邦共和国の第2代(終身)大統領であるシップ・ブロズ・チトーが死去しています。

これによりコソボの治安が大きく変化し、コソボ紛争に巻き込まれることとなります。

ユーゴスラビアの統治者として台頭したスロボダン・ミロシェビッチ

ユーゴスラビアの統治者として台頭したスロボダン・ミロシェビッチ

ユーゴスラビアの統治者として台頭したのが、セルビアの政治家で元セルビア大統領のスロボダン・ミロシェヴィッチでした。

スロボダン・ミロシェヴィッチはコソボの自治権を良しとせず、政治を動かすことになります。

1981年、治安悪化でアルバニア人の学生がコソボで暴徒化

1981年、治安悪化でアルバニア人の学生がコソボで暴徒化

1981年3月、アルバニア人の学生が治安の悪化により、コソボで暴徒化してしまいます。

ある売店の前の長い行列に対して激怒、暴徒化するという事件がありました。

アルバニアとセルビアがコソボを巡って対立が激化

アルバニアとセルビアがコソボを巡って対立が激化

アルバニア人の暴徒化をきっかけに、コソボではアルバニア人とセルビア人の対立が激化します。

アルバニアはもちろんアルバニア人を支持、セルビアもコソボに1割存在するセルビア人を支持しています。

1989年、ミロシェビッチがコソボの自治権の剥奪を決定

1989年、ミロシェビッチがコソボの自治権の剥奪を決定

1989年、コソボに対してミロシェビッチは自治権の剥奪を決定します。

これを良しとしないのがコソボであり、強く反発することとなりました。

1990年から1998年、コソボはセルビアの統治下となる

1990年から1998年、コソボはセルビアの統治下となる

1990年から1998年にかけて、コソボはセルビアの統治下となってしまいます。

これもセルビア元大統領のミロシェビッチの手腕によるものだったようです。

コソボは完全なセルビアの国になってしまうことを避けるために戦争を仕掛けることになりました。

1993年、コソボ側は独立を目的とした組織「コソボ解放軍(KLA)」を設立

1993年、コソボ側は独立を目的とした組織「コソボ解放軍(KLA)」を設立

コソボ側は独立を目的とした組織「コソボ解放軍(KLA)」を設立しました。

設立は1993年でこちらはコソボのアルバニア人による戦闘組織の集団になります。

アルバニア人の人権を守るため、コソボ解放軍が活動を開始しました。

セルビア軍はコソボ解放軍に対抗するため、掃討作戦を開始

セルビア軍はコソボ解放軍に対抗するため、掃討作戦を開始

一方のセルビア軍はコソボ解放軍に対抗するため、掃討作戦を開始しました。

軍隊が動員されたということで、戦争の気運は一気に高まっていきます。

1998年2月にコソボ紛争が勃発した

1998年2月にコソボ紛争が勃発した

1998年2月にアルバニア人とセルビア人の関係が悪化し、コソボ紛争が勃発しました。

1年以上続くこちらの戦争ですが、世界に大きな影響を与えるものとなりました。

コソボ紛争とNATOの関係性

コソボ独立のために奮闘するコソボ解放軍

コソボ独立のために奮闘するコソボ解放軍

コソボ紛争において、NATO(北大西洋条約機構)との関係性も強くありました。

コソボ独立のために奮闘するコソボ解放軍に対して、後にNATOも関わることとなります。

コソボ解放軍に真っ向から対抗するセルビア軍

コソボ解放軍に真っ向から対抗するセルビア軍

コソボ紛争にて、コソボ解放軍にセルビア軍は真っ向から対抗しました。

どちらもその姿勢を変えることなく、コソボ紛争はさらに激化していきます。

関連するキーワード

関連するまとめ

リンドバーグ愛児誘拐事件の真相~犯人の冤罪説や事件の裏側まとめ

伝説の飛行士チャールズ・リンドバーグの息子が誘拐されるという「リンドバーグ愛児誘拐事件」。その犯人に冤罪の疑…

Mrsjunko / 1446 view

マクロン大統領とプーチン大統領の仲や関係!絶望し悲壮感漂う画像の真相も紹介

ロシアによるウクライナ侵攻により世界的に孤立を深めているプーチン大統領と、開戦前から頻繁に電話会議を行ってい…

passpi / 976 view

アビーとブリタニー(結合双生児)の現在!今の年齢と家族・結婚まとめ【ヘンゼル姉妹】

アビーとブリタニーのヘンゼル姉妹について、結合双生児の原因が注目を集めています。また、アビーとブリタニーの年…

cyann3 / 3564 view

パリ人肉事件の犯人・佐川一政の生い立ちから現在~身長と家族(父/母/弟)・映画化・死…

1981年に発生した「パリ人肉事件」は、その事件名の通り、犯人は被害者を殺害後、屍姦した後、被害者の肉を食ら…

passpi / 4557 view

首長族の女性が美人・かわいい!怖い風習と衣食住・男性の画像もまとめ

少数民族の首長族について、女性が美人でかわいいと話題になっています。また、首長族の怖い風習と衣食住、男性の画…

cyann3 / 1374 view

カナダ古川夏好さん殺害事件と犯人の現在!ウィリアム・シュナイダーの犯行動機・死因とそ…

2016年9月28日、カナダのバンクーバーに留学していた古川夏好さんが、廃屋で遺体となって発見された事件。犯…

Mrsjunko / 2926 view

中村哲医師の名言ランキング30選!多くの言葉を残す【最新決定版】

中村哲は、日本の医師であり、パキスタンやアフガニスタンで医療活動に従事、2019年に武装勢力に銃撃され死去し…

maru._.wanwan / 1541 view

同じカテゴリーの記事

同じカテゴリーだから興味のある記事が見つかる!

マクロン大統領とプーチン大統領の仲や関係!絶望し悲壮感漂う画像の真相も紹介

ロシアによるウクライナ侵攻により世界的に孤立を深めているプーチン大統領と、開戦前から頻繁に電話会議を行ってい…

passpi / 976 view

海外旅行で行ってはいけない危険な国ランキング32選【最新決定版】

世界にはとても危険な国がたくさんあります。ここでは、海外旅行で行ってはいけない危険な国を32か国、ランキング…

Mrsjunko / 1803 view

ジョージフロイドは何をした?犯罪歴(薬物/偽札)や死因・警官の逮捕のいきさつを総まと…

警官の行き過ぎた暴力によって死去したジョージフロイドは何をしたのか?今回はジョージフロイドが亡くなった事件に…

aquanaut369 / 670 view

タリバンの資金源とは?支援国は意外にも多かった

2021年8月からアフガニスタンで政権を握っているタリバン。彼らはなぜ長年に渡って活動を続けられ、今後どのよ…

aquanaut369 / 589 view

イラク戦争の原因や死者数!間違いによる侵略でアメリカに責任?日本の対応・株価への影響…

多くの犠牲者を出したイラク戦争。この戦争はアメリカの強硬な姿勢も原因となっていて、最終的には「間違い」による…

aquanaut369 / 1027 view

国別の男性平均身長ランキングTOP70【最新決定版】

一般的には日本人よりも外国人の方が男性の平均身長は高いのですが、どの国の男性の平均身長が高いのか気になる人が…

maru._.wanwan / 1340 view

首長族の首輪はなぜ?レントゲン写真と骨格・首輪なし画像と外すタイミングまとめ

タイの少数民族・首長族について、「首輪はなぜ?」という話題があがっています。また、レントゲン写真・骨格、首輪…

cyann3 / 7841 view

アクセスランキング

人気のあるまとめランキング

スポンサードリンク

"); } })(jQuery);