チャールズ・マンソンの死因!身長と生い立ちや家族・事件・晩年や映画化まとめ
「マンソン・ファミリー」と呼ばれるコミューンを率いて連続殺人事件を起こしたチャールズ・マンソン。
今回、チャールズ・マンソンの身長と家族や過酷な生い立ち、彼が起こした殺人事件と逮捕に至った経緯について振り返るとともに、刑務所での晩年と死因、映画化についてまとめました。
チャールズ・マンソンの身長やプロフィール
チャールズ・マンソンは、1960年代末から1970年代の初めにかけて、カリフォルニア州にて「マンソン・ファミリー」と呼ばれるヒッピーのコミューンを率い、「テート・ラビアンカ殺人事件」などの連続殺人事件を起こしました。
チャールズ・マンソンは、自らの関与を認めず、自分に心酔した信者が勝手に暴走しただけと無罪を主張するも、検察はマンソンが人種間戦争の勃発をもくろんだものと結論付け、1972年に死刑判決が下されました。
今回、そんなチャールズ・マンソンの家族や過酷な生い立ち、彼が作ったカルト集団「マンソン・ファミリー」が起こした殺人事件と逮捕に至った経緯について振り返るとともに、刑務所での晩年と死因、映画化についてまとめました。
チャールズ・マンソンの家族や生い立ちについて
生まれて間もなく育児放棄に…過酷な生い立ちのチャールズ・マンソン
16歳で売春婦をしていた母親に産み落とされたチャールズ・マンソンは、生後間もなく育児放棄をされ、しばらくの間は名前すらない状態だったと言います。
ちなみに、「チャールズ・マンソン」という名前が付けられたのは、なんと生後数ヶ月後のことで、それも母親が気まぐれに「チャールズ」と名付け、その時にたまたま結婚していた男性の姓が「マンソン」だったからに過ぎないのだとか。
また、チャールズ・マンソンの誕生日が11月11日か12日かハッキリしないのは、母親が誕生日を覚えていないからだと言われています。
そんなチャールズ・マンソンが5歳の時、母親とその兄がガソリンスタンドを襲撃して逮捕され、懲役5年の実刑判決を言い渡されるんですよね。
これによって祖父母の家に引き取られたチャールズ・マンソンでしたが、その後は親戚を転々とした挙げ句、結局12歳の時に孤児院に入れられることになります。
それでも、母親が恋しかったチャールズ・マンソンは、母親に会いに行こうと孤児院を脱走するのですが、母親に迷惑がられることに…これにヤケを起こしたマンソンは窃盗事件を起こして逮捕されるんですよね。
その後も脱走しては軽犯罪をして戻される…ってことを繰り返したチャールズ・マンソンは、16歳の時に救護院の他の収容者に重傷を負わせ、少年院に送られました。
1954年、19歳の時に仮釈放されたチャールズ・マンソンは、ウエイトレスと結婚し、子供まで生まれるのですが…自転車泥棒をして逮捕され、その女性とはそのまま離婚したようです。
チャールズ・マンソンが作ったカルト集団“マンソン・ファミリー”
出所後に小銭とギターだけを持ってサンフランシスコへ
とうとう刑務所に入れられてしまったチャールズ・マンソンでしたが、そこでセラピーを受け、人を操る才能に磨きをかけるとともに、元ギャングだという囚人からギターを習っていたと言います。
そして、1967年に刑期を終えたチャールズ・マンソンは、いくばくかの小銭とギターだけを持って、バスでサンフランシスコに向かいました。
その当時のサンフランシスコは、ヒッピー文化が隆盛を極めていた時代で、街には長髪の若い男女が溢れ返り、彼らはただベトナム戦争への徴兵を回避することに躍起になっていたと言います。
特に、チャールズ・マンソンが居着いたハイト・アシュベリー地区では、ドラッグを楽しむヒッピー文化が盛んでした。
チャールズ・マンソンは街角で歌いながら、図書館司書の女性と知り合い、すぐに彼女のアパートで同棲を始めました。
さらに、言葉巧みに家出少女などを誘い、ドラッグを与えることで心を掌握し、アパートにはみるみる人が増えていったと言います。
カルトな思想に取り憑かれていった“マンソン・ファミリー”
やがて十数人のファミリーとなったチャールズ・マンソンらは、1968年にロサンゼルスのハリウッドに移り、ドラッグの売買や物乞い、クレジットカード泥棒などで生計を立てていました。
そんな中、ロックバンド「ザ・ビーチ・ボーイズ」のメンバーであるデニス・ウィルソンは、ヒッチハイク中のファミリーの少女を車に乗せたことで、チャールズ・マンソンと接点を持ちます。
たちまちウィルソンに取り入ったチャールズ・マンソンは、ファミリーごと彼の屋敷に居候することになるんですよね。
しばらくは、ウィルソン宅で悠々自適の生活を送っていたファミリーでしたが、1968年5月、ウィルソンが転居したため、屋敷から出ざるを得なくなってしまいました。
そんなチャールズ・マンソンが次に目をつけたのが、カリフォルニア州チャッツワースにある西部映画撮影用のスパーン牧場でした。
この牧場のオーナーである盲目の老人に、馬の世話と日々の雑用をすることを条件に、ファミリーが移り住むことを認めさせたチャールズ・マンソン。
ここでのファミリーの暮らしは、量販店から廃棄食糧を調達することくらいで、それ以外のほとんどの時間はドラッグで陶酔するか、セックスをして過ごすという自堕落な生活を送っていたようです。
もともとチャールズ・マンソンは、ヒトラーを崇拝し、最後の審判において自分たちが選民として役割を果たすと信じるサイエントロジーの分派「最後の審判プロセス教会」をより所としていました。
関連するまとめ
アルビノのモデル20選~芸能人や有名人を男性女性別で紹介【最新版・画像付き】
アルビノのモデルで知名度の高い芸能人・有名人を厳選して20名をご紹介します。世界のアルビノのモデルさんはどの…
cyann3 / 1554 view
検索してはいけない言葉100選・危険度別ランキング【最新決定版】
検索すると思わぬグロ画像や衝撃動画にたどり着いてしまい、トラウマになりかねないような危険な言葉があります。今…
maru._.wanwan / 487 view
黒人アルビノ狩りや人身売買の実態や対策を総まとめ
先天的にメラニンが欠乏する遺伝子の疾患アルビノ。日本にもアルビノの人はいますが、アフリカに生まれた黒人のアル…
aquanaut369 / 509 view
レーガン大統領暗殺未遂事件の犯人と現在!死者とSP・裁判判決やその後を総まとめ
1981年3月に暗殺未遂事件に巻き込まれたレーガン大統領。この事件はなぜ起こってしまったのでしょうか?今回は…
aquanaut369 / 290 view
リジー・ボーデン事件の真相とその後!自宅・死因・映画作品まとめ
今なお“世界3大未解決事件”の一つに数えられている、19世紀末期のアメリカで起きた猟奇的殺人事件「リジー・ボ…
passpi / 2372 view
イスラム国日本人人質事件で湯川遥菜と後藤健二はなぜ殺された?最期・切断写真・モールス…
2015年1月、シリア国内でイスラム国に拘束されていた日本人人質の湯川遥菜さんと後藤健二さんが、相次いで殺害…
Mrsjunko / 813 view
【なぜ】ウォーターゲート事件をわかりやすく説明!基の映画も総まとめ
1972年に始まったアメリカの政治スキャンダル「ウォーターゲート事件」は、盗聴に始まりニクソン大統領の辞任ま…
Mrsjunko / 336 view
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーだから興味のある記事が見つかる!
シャロン・テート事件と犯人の現在!マンソン・ファミリーや殺害現場・その後も総まとめ
1960年代に人気を集めた女優のシャロン・テート。人気絶頂のときにチャールズ・マンソン率いるマンソン・ファミ…
aquanaut369 / 1051 view
アルビノのモデル20選~芸能人や有名人を男性女性別で紹介【最新版・画像付き】
アルビノのモデルで知名度の高い芸能人・有名人を厳選して20名をご紹介します。世界のアルビノのモデルさんはどの…
cyann3 / 1554 view
ゼレンスキー大統領のコメディアン時代と“股間ピアノ”の持ちネタまとめ【動画あり】
ロシアに一歩も怯まず、「どんなことがあっても母国を守り抜く」という覚悟を、ウクライナ国民のみならず、全世界に…
passpi / 635 view
アンドレイ・チカチーロの生い立ちと事件!名言・日本人が脳を買い取る発言・嫁と息子・映…
1978年から1990年にかけておよそ52人を殺害したアンドレイ・チカチーロの生い立ちや事件の詳細、裁判の様…
Mrsjunko / 2210 view
ゲイリー・リッジウェイの現在!母親や子供時代・事件・映画まとめ
アメリカのシリアルキラー(連続殺人犯)として有名なゲイリー・リッジウェイさんについて、現在の活動が注目を集め…
cyann3 / 300 view
ルクソール熱気球墜落事故の原因や日本人死者の死因・操縦士のその後まとめ
エジプトの観光地・ルクソールの町並みを空から眺めることができる熱気球でのルクソール遊覧飛行。 2013年2…
passpi / 1193 view
プリンストン大学出身の芸能人&有名人100選・日本人と海外別!衝撃ランキング【最新決…
プリンストン大学は、アメリカの中でも8番目に古い歴史ある大学で、アメリカの国内大学ランキングでは堂々の1位を…
maru._.wanwan / 981 view
アクセスランキング
人気のあるまとめランキング
フルネーム: チャールズ・ミルズ・マンソン
生誕: 1934年11月12日(11日?)
出身地: 米オハイオ州 シンシナティ
死没: 2017年11月19日(83歳)
身長: 156 cm
職業: カルト指導者
事件名: テート・ラビアンカ殺人事件(1969年)
罪名: 殺人、共謀
刑罰: 終身刑
有罪判決: 殺人罪、共謀罪