
アルバート・フィッシュの生い立ち/子供/子孫!名言や事件詳細と手紙・関連映画まとめ
アルバート・フィッシュとは、1910年代から1934年にかけて約400人の児童を殺害したという、「「満月の狂人」や「ブルックリンの吸血鬼」という異名を持つシリアルキラーです。そんなアルバート・フィッシュの生い立ち・子供・子孫や名言と事件詳細、凶行を綴った手紙、関連映画などをまとめていきます。
アルバート・フィッシュのプロフィールや生い立ち
出典:アメリカの有名な事件36選!ランキングで紹介【最新版】 | Celeby[セレビー]|海外エンタメ情報まとめサイト
父親はアルバートが生まれた当時75歳で母親よりも43歳年上でした。アルバートが5歳の時に父親は亡くなっており、それを機に孤児院に預けられることになります。
そして、自身のことも「他の子供は苦痛だったが、自分は鞭打ちをされるのが楽しみな子供だった」とも供述していました。
写真はアルバート・フィッシュの陰嚢のレントゲン写真です。陰嚢の中に12本の釘が映っています。
法廷での精神鑑定医の証言により、アルバート・フィッシュは性的倒錯でありサディズム、マゾヒズム、露出症、カニバリズム、汚食症、嗜尿症、小児性愛、陰門封鎖という証言がされています。
出典:アルバート・フィッシュの生い立ち!子供と子孫・事件や手紙の内容・映画化まとめ
事件の詳細と犯行の一部始終を綴った手紙
アルバート・フィッシュが逮捕された時、自称「400人以上を殺した」と言っているようですが、実際にアルバートの犯行と断定されていたのが、トーマス・ゲッデン、フランシス・マクドネル、ビリー・ガフニ―、グレース・バッドの3名でした。この他にも10数名ほどを殺害したとされていますが、ここでは代表的な4名の殺害と、生き残ったトーマス・ゲッデンの事件詳細を紹介していきます。
アルバート・フィッシュの供述では、「彼の悲鳴やその姿は忘れられません」と語っていたそうです。性器を切断した後殺害しようと考えていたようでしたが、気温が高かったため腐敗臭により犯行がバレることを恐れたアルバートは、ケッデンの傷口に過酸化物をかけ10ドルと切断した男性器だけを持って、被害者を置き去りにします。
その後、始発列車に乗り帰宅。置き去りにしたケッデンのことは頭になかったということ。
「ぶつぶつ言いながら通りをウロウロしており、手の動きも変だった。髪の毛やヒゲがグレーで伸びていた。全部が色あせてくすんでいた印象がある」ということでした。
その後、警察の捜索によって木に吊るされたマクドネルの遺体が発見されました。遺体には暴行の痕跡があり、サスペンダーで絞殺されていました。更に、左足は皮が剝けて肉が見えていたそうです。
フィッシュの供述では、殺害した後に男性器を切り取るつもりだったが、人が近寄ってきたので逃げたのだということ。
「その子をライカーアヴェニューに連れて行きました。ゴミだめです。彼を連れ去ったところからそう遠くない場所に、一軒だけ建つ家があります。裸にして、手足を縛り、ゴミの中から拾った汚い布切れで猿ぐつわをしました。
それから服を焼いてしまいしました。靴はゴミの中に捨てました。翌日の午後2時くらいに、適度な重さのムチを用意しました。自分のベルトを半分に切って、その半分それぞれにさらに20センチくらいの切れ込みを入れて6本の房のように分けたのです。」
この事件でアルバート・フィッシュは有罪となっていますが、ビリーの遺体は未だに発見されていません。おそらく食べたものと思われ、ビリーを食べた時の様子を詳細に綴った手紙の内容を以下に引用しました。
あまりにも惨い内容のため、全文を載せるのは控えさせていただきます。
アルバート・フィッシュの手紙1
「私は坊やの裸のお尻を、血が流れるまで鞭で打ちました。そして、…
…好きな部分の肉は家に持って帰りました。まず耳と鼻と顔や腹から削いだ肉でシチューを作りました。たまねぎとニンジンとカブとセロリを入れて、塩と胡椒で味付けしました…
出典:アルバート・フィッシュ
本名:アルバート・ハミルトン・フィッシュ
異名:満月の狂人、ブルックリンの吸血鬼、グレイマン
生年月日:1870年5月19日
出身地:アメリカ合衆国ワシントンD.C.
没年月日:1936年1月16日(65歳没)
没地:アメリカ合衆国ニューヨーク州オッシニング シンシン刑務所
死因:電気椅子での死刑