シャロン・テートのプロフィール!生い立ちや経歴を紹介

シャロン・テートのプロフィール

シャロン・テートのプロフィール

名前:シャロン・マリー・テート
生年月日:1943年1月24日
出身地:アメリカ合衆国
身長:168㎝
職業:女優、モデル

シャロン・テートは1960年代に活躍した人気女優

シャロン・テートは1960年代に活躍した人気女優

シャロン・テートは1960年代に活躍した人気の女優で、当時は美人ということもあり、多くの男性ファンを抱えていました。彼女の名を世に知らしめたのは1962年のテレビシリーズ「じゃじゃ馬億万長者」で、このドラマをきっかけに女優として大ブレイク。

1966年には映画「Eye of the Devil」で本格的なスクリーンデビューを飾り、以降は毎年のように映画出演を果たし、大成功を収めました。

シャロン・テートの生い立ちは?

シャロン・テートの生い立ちは?

シャロン・テートは幼少期の頃に世界各地を転々とする暮らしを続けていて、10代の頃にイタリアに居住。この頃から彼女は女優としての活動を始めていて、当時は現地の映画やテレビCMに出演していました。

他にもスタイルの良さを活かしてモデルとしても活動し、高校生ながらそれなりに人気は高かったのだそうです。

ブルース・リー監修の元アクションに挑戦したことも

ブルース・リー監修の元アクションに挑戦したことも

シャロン・テートは1968年に映画「サイレンサー/破壊部隊」に出演。同作品はアクションをブルース・リーが監修していたようで、このときは彼から直接アクションを学んだのだとか。

その後、2人は意気投合し、プライベートでもともに過ごすことが増え、仲の良い友人関係だったことで知られています。

人気絶頂だった26歳のときに死去

人気絶頂だった26歳のときに死去

シャロン・テートはドラマや映画の出演で早くから人気を集めていましたが、1969年8月9日に26歳の若さで死去しました。彼女は当時狂信的なカルト指導者チャールズ・マンソンの信奉者達の手によって殺害され、このときは一緒にいた友人たちも殺害。

女優として人気絶頂だっただけに彼女の死は瞬く間に大きなニュースとなり、日本でも話題となりました。

シャロン・テートの家族!結婚した旦那や子供も紹介

シャロン・テートの家族について

シャロン・テートの家族について

シャロン・テートの家族構成は父親と母親、そして下に2人の妹がいる5人家族でした。彼女の父親は当時アメリカ陸軍に所属する軍人だったようで、幼少期の頃に世界中を転々としていたのは父親が軍人だったことが要因となっています。

次女のデブラは9歳下、三女のパトリシアは14歳下で、妹たちとはかなり年が離れていたこともわかっています。

結婚した旦那は映画監督のロマン・ポランスキー

結婚した旦那は映画監督のロマン・ポランスキー

シャロン・テートは死去する前年の1968年に映画監督として活動していたロマン・ポランスキーと結婚しました。2人は1967年のホラー映画「吸血鬼」で共演を果たし、これを機に交際に発展。

結婚後はロサンゼルス・ハリウッドにある豪邸で生活を送り、夫婦生活は順風満帆でした。

ロマン・ポランスキーのプロフィール

ロマン・ポランスキーのプロフィール

名前:ロマン・ポランスキー
生年月日:1933年8月18日
出身地:フランス
職業:映画監督

亡くなる前には子供を妊娠していた

亡くなる前には子供を妊娠していた

シャロン・テートは亡くなる前に子供を妊娠していたことがわかっていて、彼女の死去とともに子供も亡くなっています。当時の彼女は妊娠8ヶ月だったようで、出産間近でした。

子供の妊娠がわかったのはブルース・リーからアクションを教わった映画「サイレンサー第4弾/破壊部隊」が公開された頃で、結婚後すぐということもあり、夫婦揃って幸せな日々を送っていたのだそうです。

シャロン・テート事件について

シャロン・テートは殺害事件の被害者

シャロン・テートは殺害事件の被害者

シャロン・テートは1989年8月9日にハリウッドにある自宅にて殺害され、その生涯を終えました。この事件で彼女は自身だけでなく、お腹の中の子供まで殺害され、なんと16箇所も刺されていたのだとか。

さらに一緒にいた友人3人とたまたま通りかかって犯行グループに声をかけた1人も殺害されていて、凄惨な事件として話題を集めました。

シャロン・テート事件について

シャロン・テート事件①~ハリウッドの高級住宅街で殺人事件が発生

シャロン・テート事件①~ハリウッドの高級住宅街で殺人事件が発生

1969年8月9日、ハリウッドにある高級住宅街にて殺人事件が起きました。被害者は女優のシャロン・テートと他4人。彼女は背中と胸を16箇所刺されていて、お腹の中にいた子供も死亡。

自宅の玄関にはシャロン・テートの血で「Pig(豚)」と書かれており、これは黒人が白人を呼ぶときの隠語に使われる単語で、当初は犯人は黒人だと思われました。

シャロン・テート事件②~翌日にも同様の手口で殺人事件が発生

シャロン・テート事件②~翌日にも同様の手口で殺人事件が発生

シャロン・テートが殺害された事件の翌日に同様の手口でロサンゼルスに暮らすラビアンカ夫妻が残忍な手口で殺害される事件が発生しました。このときは現場に血で「Death to pigs(ブタに死を)」と書かれていて、犯人は同一人物だと予想されました。

ちなみにラビアンカ夫妻はロサンゼルスでスーパーマーケットを営んでいて、金銭目的の犯行だと思われました。

シャロン・テート事件③~2ヶ月後に犯人が逮捕

シャロン・テート事件③~2ヶ月後に犯人が逮捕

シャロン・テート事件は解決につながるような証拠が見つからず、捜査が難航していましたが、事件から2ヶ月後の1969年10月に犯人が逮捕されました。

その犯人は狂信的なカルト集団のボスとして君臨していたチャールズ・マンソンとそのメンバーたちで、事件は解決となりました。

事件の犯人はマンソン・ファミリー!現場の血文字や首謀者について

事件の犯人はマンソン・ファミリー

事件の犯人はマンソン・ファミリー

シャロン・テート事件を起こしたのは狂信的カルト集団で知られた「マンソン・ファミリー」によるもの。この集団はチャールズ・マンソン率いる「ヒッピーコミューン」で、メンバーはみなチャールズ・マンソンに心酔し、彼の意図で次々と事件を起こしていました。

チャールズ・マンソンのプロフィール

チャールズ・マンソンのプロフィール

名前:チャールズ・ミルズ・マンソン
生年月日:1934年11月12日
出身地:アメリカ合衆国
職業:マンソン・ファミリー指導者

首謀者チャールズ・マンソンの生い立ちと経歴について

チャールズ・マンソンの生い立ちと経歴①~幼少期の頃は親戚の家や孤児院で過ごした

チャールズ・マンソンの生い立ちと経歴①~幼少期の頃は親戚の家や孤児院で過ごした

チャールズ・マンソンはオハイオ州に生まれ、5歳のときに母親とその兄がガソリンスタンドを襲撃して逮捕。その後は祖父母の家に預けられるも、すぐに他の親戚の家へ移され、親戚たちの間でたらいまわしにされてしまいます。

最終的に彼は12歳の頃に孤児院に入れられ、孤独を感じながら幼少期を送りました。

チャールズ・マンソンの生い立ちと経歴②~10代の頃は犯罪を繰り返した

チャールズ・マンソンの生い立ちと経歴②~10代の頃は犯罪を繰り返した

チャールズ・マンソンは孤児院に入れられたあとは犯罪を繰り返すようになり、施設の出入りを繰り返すように。16歳で救護院に入ることになり、模範囚を務めていたものの、他の収容者に怪我を負わせて少年院送りになってしまいます。

19歳のときに仮釈放となり、ウエイトレスの女性と結婚して子供が生まれるも自動車泥棒で逮捕され、2人は別れることとなりました。

チャールズ・マンソンの生い立ちと経歴③~刑務所で10年以上を過ごした

チャールズ・マンソンの生い立ちと経歴③~刑務所で10年以上を過ごした

チャールズ・マンソンは自動車泥棒で逮捕されたあと、刑務所でセラピーを受け、そこで人を操る能力に磨きをかけます。さらに彼は受刑者の元ギャングからギターを教わり、密かにミュージシャンとしての夢を抱くようになります。

彼が刑務所から出所したのは10年以上が経った1967年で、このときは小銭とギターだけを持ってサンフランシスコへと移りました。

チャールズ・マンソンの生い立ちと経歴④~言葉巧みに若者たちを集めた

チャールズ・マンソンの生い立ちと経歴④~言葉巧みに若者たちを集めた

出所後、チャールズ・マンソンはサンフランシスコへと移りました。当時のサンフランシスコではヒッピー文化が浸透していて、若者たちはコカインやLSDなどドラッグに夢中になっていました。そこに目をつけたチャールズ・マンソンは若者たちを言葉巧みに誘い、ドラッグを与えて彼らの心を掴むように。いつしか彼の周りには彼を慕う若者で溢れるようになり、みんなで拠点をハリウッドへ移すことにしました。

チャールズ・マンソンの生い立ちと経歴⑤~マンソン・ファミリーを使って悪だくみ

チャールズ・マンソンの生い立ちと経歴⑤~マンソン・ファミリーを使って悪だくみ

チャールズ・マンソンはサンフランシスコで集めた若者たち(マンソン・ファミリー)と一緒にハリウッドへ移り、そこでドラッグの売買やクレジットカード泥棒といった悪だくみを始めます。これらはすべてチャールズ・マンソンの命令によるもので、彼自身は手を汚さなかったのだとか。

チャールズ・マンソンの生い立ちと経歴⑥~歌手デビューの予定だった

チャールズ・マンソンの生い立ちと経歴⑥~歌手デビューの予定だった

チャールズ・マンソンはその後、ミュージシャンでプロデューサーをしていたテリー・メルチャーと出会い意気投合。夢だったシンガーソングライターとしてのデビューが決まり、何曲かレコーディングを行うことに。ですが、最終的にプロデューサーのテリー・メルチャーは彼との約束を守らず。チャールズ・マンソンのデビューは無くなってしまいました。

関連するまとめ

アマンダルイス事件の真実と真犯人~息子AJの現在や祖父の陰謀説まとめ

2019年5月に放送された『ワールドミステリー』で話題となったアマンダルイス事件。その事件の冤罪説と真実や真…

Mrsjunko / 1737 view

レーガン大統領暗殺未遂事件の犯人と現在!死者とSP・裁判判決やその後を総まとめ

1981年3月に暗殺未遂事件に巻き込まれたレーガン大統領。この事件はなぜ起こってしまったのでしょうか?今回は…

aquanaut369 / 588 view

バリ島爆弾テロ事件の犯人と日本人犠牲者!歴代テロ事件やその後現在まとめ

2002年10月12日に起きたバリ島爆弾テロ事件は、202人の死者を出した衝撃的なテロ事件となりました。その…

Mrsjunko / 658 view

チェルノブイリ原発事故の場所と原因・象の足・被爆者の症状と被害人数・死者やその後の影…

今世紀最大の人的災害であるチェルノブイリ原発事故は、長期的に健康被害が懸念されている事故で、現在も物議を醸し…

Mrsjunko / 610 view

ANTIFAの意味とは?日本や政治家との関係・立憲民主党の発言まとめ

アメリカで話題になっている政治団体・ANTIFA(アンティファ)の意味、また、日本版や政治家との関係、立憲民…

cyann3 / 628 view

リーマンショックの原因と影響!日本の日経平均株価・為替・チャートなどわかりやすく解説

2008年9月、アメリカの有力投資銀行である「リーマンブラザーズ」の経営破綻が原因で発生したリーマンショック…

cyann3 / 783 view

エド・ゲインの本物の作品の写真!遺体で家具や衣服を制作・事件も総まとめ

1900年代半ばにアメリカ合衆国に実在した「プレイン・フィールドの屠殺解体職人」との異名をとる猟奇殺人鬼でる…

passpi / 19284 view

同じカテゴリーの記事

同じカテゴリーだから興味のある記事が見つかる!

ゾディアック事件の真相~犯人や暗号・関連映画まとめ

ゾディアック事件とは1968年から1974年にかけて、アメリカで発生した連続殺人事件です。犯行後に犯人から電…

Mrsjunko / 858 view

タイヤネックレスの動画がヤバい!南アフリカと見る方法・漫画イラストと知恵袋・生き残り…

検索してはいけない言葉「タイヤネックレス」について、画像や動画がヤバいとして注目を集めています。また、タイヤ…

cyann3 / 2619 view

チャレンジャー号爆発事故まとめ/原因はOリング・責任と乗組員の遺体や生きている可能性…

1986年1月28日、チャレンジャー号打ち上げからわずか73秒後に、空中で分解した爆発事故の原因はOリングだ…

Mrsjunko / 1056 view

ウクライナ21の内容と真相!犯人とその後・殺人動画の話題まとめ

ウクライナで未成年の少年3人によって実行された連続殺人事件「ウクライナ21」について、その内容と真相に注目が…

cyann3 / 2040 view

リンドバーグ愛児誘拐事件の真相~犯人の冤罪説や事件の裏側まとめ

伝説の飛行士チャールズ・リンドバーグの息子が誘拐されるという「リンドバーグ愛児誘拐事件」。その犯人に冤罪の疑…

Mrsjunko / 1124 view

バリ島爆弾テロ事件の犯人と日本人犠牲者!歴代テロ事件やその後現在まとめ

2002年10月12日に起きたバリ島爆弾テロ事件は、202人の死者を出した衝撃的なテロ事件となりました。その…

Mrsjunko / 658 view

ヤノマミ族の現在!出産と子供殺し・コロナ感染も総まとめ【写真付き】

ヤノマミ族とは、アマゾン川流域からオリノコ川にかけて、広く分布している南アメリカ大陸の先住民部族です。そんな…

Mrsjunko / 1020 view

アクセスランキング

人気のあるまとめランキング

スポンサードリンク

"); } })(jQuery);