チェルノブイリ原発事故の概要

1986年4月26日午前1時23分発生

1986年4月26日午前1時23分発生

チェルノブイリ原子力発電所事故とは、1986年4月26日午前1時23分(モスクワ標準時)に、ソビエト社会主義共和国連邦(旧ソ連)の、ウクライナにあるチェルノブイリ原子力発電所4号炉で起きた原子力事故です。

この事故は、後に国際原子力事象評価尺度(INES)で決められた、深刻な事故を示すレベル7に分類されました。

事故のタイムライン

安全システムの1つの設計試験中に発生

安全システムの1つの設計試験中に発生

チェルノブイリ原子力発電所4号機の事故は、1986年4月26日に安全システムの1つの設計試験中に発生しました。

この安全システムは、2つの緊急事態が同時に発生した場合に、停止中のタービン発電機からの残留回転エネルギーを利用して発電することを想定したものです。

事故の状況

事故の状況

状況1:原子力発電所の電源、特に主循環ポンプと緊急炉心冷却システムのポンプが完全に喪失。

状況2:設計上次のように考慮される最終的な設計ベースの事故。炉心循環回路の大口径パイプラインの破断。

設計試験では想定外の出来事だった

設計試験では想定外の出来事だった

設計では、外部電源が失われた場合、残留回転によりタービン発電機で発電された電力が、非常用炉心冷却系に含まれるポンプを起動するために供給されることを想定していました。これにより、炉心の確実な冷却が保証されます。

チェルノブイリ原子力発電所を除き、RBMK-1000原子炉を備えた原子力発電所では、試運転以来、そのような設計試験は実施されていなかったのです。

試験運転のミスが引き起こした事故

試験運転のミスが引き起こした事故

4号機での試験は 1986年4月25日の午後、原子炉熱出力700MW(メガワット)で予定され、その後、計画保守のために原子炉を停止する予定でした。

したがって、試験は名目上、原子炉を通る冷却材の損失の増加、炉心入口の沸点までの冷却材のわずかな過冷却、および最小の空隙率を特徴とする低減出力モードで実施する必要がありました。これらの要因は事故の規模に直接影響を与えました。

水消費量が減少し蒸気ボイド率が増加し爆発

水消費量が減少し蒸気ボイド率が増加し爆発

午前1時23分04秒に試験が開始され、タービン発電機の残留回転から4基の主循環ポンプが運転を開始したため、水消費量が減少し、蒸気ボイド(蒸気など気相が空間を占める体積割合)率が増加し始めました。

午前1時23分43秒、出力が急激に増加し始め、その後爆発が発生しました。原子炉は破壊され、その破裂から大量の放射性物質が大気中に放出。4号機で火災が発生しました。

収束作業

収束作業

その夜から直ちに事故の収束作業が始まりました。

4号機破壊後の数時間の間に、チェルノブイリの消防士と職員は多数の火災を鎮圧することに成功し、他の発電所への延焼を防ぎました。事故直後、まず3号機が4号機と共用建屋にあり停止し、その後1号機、2号機が停止。

原子炉を環境から隔離

原子炉を環境から隔離

4月27日、ヘリコプターから4号機の破裂箇所まで吸収材による埋め戻しが開始されました。ほぼ2週間にわたって投下された物質は、中央ホールを1~15メートルの範囲の層で覆い、これにより原子炉を外部から隔離しました。

圧力抑制プールの水の除去と炉心の冷却および液体窒素の供給

圧力抑制プールの水の除去と炉心の冷却および液体窒素の供給

同時に、圧力抑制プールからの水の除去、炉心の冷却、および炉心への液体窒素の供給に関する作業が実行されました。圧力抑制プールの水は5月6日に除去されました。それまで専門家らは、破壊された原子炉内で自発的に連鎖反応が起こる可能性はなく、大気中への放射性物質の放出は数千分の1に減少したと結論付けていたのです。

約11万6,000人が避難

約11万6,000人が避難

4月27日、チェルノブイリから3km離れたプリピャチの町は完全に避難を終えました。5月2日、チェルノブイリの30キロメートルのエリアおよび放射能汚染にさらされたその他の居住地から、住民を避難させることが決定。その後、1986年末までに、188の居住地(プリピャチを含む)から約11万6,000人が避難しました。

チェルノブイリ原発事故の場所

ウクライナのプリピャチから北西16kmの所

ウクライナのプリピャチから北西16kmの所

原発事故が起こったチェルノブイリ原子力発電所は、ウクライナ(旧・ソビエト連邦かつ同連邦構成国のウクライナ・ソビエト社会主義共和国)のプリピャチという町の北西16kmの所にあります。チェルノブイリ、キエフから104kmでベラルーシの境界線に位置します。

1971年に建設

1971年に建設

1971年に建設され、1978年5月に1号炉が運転を開始。その後4号炉まで建設されて順次運転を開始し、更に5号炉と6号炉の建設が開始されていました。

5号炉と6号炉の建設中止

5号炉と6号炉の建設中止

事故が起こった時点で、5号炉と6号炉の建設は中止されています。その後も1号炉から3号炉の運転は、電力不足を理由に続けられていましたが、2000年12月に最後まで稼働していた3号炉を停止させました。

その後の対処として、チェルノブイリ原子力発電所では、原子炉の廃炉作業と、石棺(4号炉を覆うコンクリートの建造物)の管理が行われていました。

発電所はチェルノブイリの戦いで危機に陥った

発電所はチェルノブイリの戦いで危機に陥った

しかし、2022年2月24日に発生したロシアのウクライナ侵攻に伴い、発電所や近郊でチェルノブイリの戦いが発生。所内ではウクライナの民間警備隊やウクライナ軍がロシア軍に対し応戦しましたが、チェルノブイリ原子力発電所はロシア軍に占拠。

3月31日に、ロシア軍の再編成に伴い引き上げたということです。

チェルノブイリ原発事故が起こった原因

炉心の冷却を維持する非常用炉心冷却装置が無効化

炉心の冷却を維持する非常用炉心冷却装置が無効化

事故が発生したのは、タービン発電機の慣性回転を利用して所内用電源を確保する実験を行っている最中でした。

RBMK(黒鉛減速沸騰軽水圧力管型原子炉)では、外部電源を喪失した場合、非常用発電機の起動から、循環水ポンプが必要な電力が得られるまで、60〜75秒を要するため、その間の不足するポンプ用電力のズレを何らかの方法で埋め、炉心の冷却を維持する必要がありました。

過去の3回の実験でも失敗していた

過去の3回の実験でも失敗していた

実験は事故以前にも3回、同様の工程でテストが行われ、いずれも非常用電源立ち上げまでのギャップを埋めることは失敗に終わりました。また、いくつかのテストでECCS(非常用炉心冷却装置)を無効化していたのです。

4号炉は、ECCSの作動時には慣性発電を利用する設計になっていましたが、この機能を試験せずに1983年12月に発電を開始したということ。

試験を昼間から夜に行う異例の強行措置

試験を昼間から夜に行う異例の強行措置

事故当時チェルノブイリ発電所の上級管理職だったアナトリー・ディアトロフは、昼間に行うはずだった試験が、他の発電所の影響でオフラインにできなくなり、夜勤担当の職員にやらせたのです。

しかし通常、試験は昼間の職員たちでやっており、夜間勤務職員は慣性運転試験に関して十分な教育を行っておらず、不慣れでした。

そんなことで、制御棒など根本的設計の欠陥や、運転員への教育が不十分だったことなどが要因の1つだったと言われています。

様々な要因が重なった

様々な要因が重なった

そのため、特殊な運転を行ったことで、事態を予測できなかった点、低出力で不安定になった炉を、持続して低出力運転し続けた点、試験が遅れて焦っていたディアトロフが実験を強行した点など、様々な要因が重なりました。

更に、実験のために安全装置を無効化したなど、多くの複合的な要素が原因となった可能性が高いようです。

学者たちによる後の事故検証では、この点のいずれかが1つでも守られていれば、爆発事故や事故の波紋を最小限に抑えることができたかもしれないとも言われています。

事故原因とその後の対応を担ったソビエト連邦の化学者であるヴァレリー・レガソフ氏は、1987年に「飛行機のパイロットが飛行中のエンジンを実験しているようなものだった」と述べていました。

1986年の事故報告書による事故発生までの試験操作の対応

4月25日13時

4月25日13時

4号炉で予定されていた点検修理のため、定格値の出力から降下を開始。運転停止の機会を使い、タービン発電機の慣性回転を利用して、所内用の電源を確保する実験を行う予定だった。計画では、この試験は熱出力が100万キロワットないし70万キロワットに下がったところで行う予定となっていた。

13時5分~14時

13時5分~14時

160万キロワットに達していたとき、2台あるタービンのうち1台を切り離す。

計画どおり非常用炉心冷却装置を解除し、そのまま出力を降下させ続ける予定だったが、キーウ給電指令所の要請により、160万キロワットで運転を継続する。

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