マリーアントワネットのプロフィール

マリーアントワネット

マリーアントワネット

全名:マリー=アントワネット=ジョゼフ=ジャンヌ
出生:1755年11月2日
家名:ハプスブルク=ロートリンゲン家
在位:1774年5月10日–1792年9月21日
死去:1793年10月16日(37歳没)
父親:フランツ1世
母親:マリア・テレジア
配偶者 ルイ16世

フランス国王・ルイ16世の王妃

フランス国王・ルイ16世の王妃

マリーアントワネットはフランス最後の国王となるルイ16世の妻(王妃)にあたる方です。

美しい美貌を持ち純情である反面、「軽率」「わがまま」と評される性格の方でもあります。

2006年に映画「マリー・アントワネット」が公開

2006年に映画「マリー・アントワネット」が公開

2006年にはマリーアントワネットの生涯を描いた映画「マリー・アントワネット」が公開されました。

イメージ通りのマリーアントワネットを演じたのは女優のキルスティン・ダンストさんです。

Marie Antoinette Trailer - YouTube

出典:YouTube

2006年の映画「マリー・アントワネット」の予告動画

2012年には映画「マリーアントワネットに別れを告げて」が公開

2012年には映画「マリーアントワネットに別れを告げて」が公開

2012年にはマリーアントワネットの新たな映画として「マリーアントワネットに別れを告げて」が公開されています。

こちらの映画は2012年にフェミナ賞を受賞した本「マリー・アントワネットに別れをつげて」をベースにしており、朗読係の目線で語られるマリーアントワネットの物語です。

映画「マリーアントワネットに別れを告げて」予告編 - YouTube

出典:YouTube

2012年の映画「マリーアントワネットに別れを告げて」の予告動画

素晴らしい人格だと感じさせる「マリーアントワネットの名言」

「パンがなければ、ケーキ(ブリオッシュ)を食べたら良いじゃない。」

「パンがなければ、ケーキ(ブリオッシュ)を食べたら良いじゃない。」

マリーアントワネットさんの有名な名言の1つに、こちらの「ケーキを食べたら良いじゃない」というものがあります。

しかし、この名言は近年はマリーアントワネットが発した言葉ではないという声も出ており、デマの可能性も十分にあります。

「不幸な暮らしをしながら私たちに尽くしてくれる人々を見たならば、彼らの幸せのためにこれまで以上に身を粉にして働くのが私のつとめだというのは当然のことです。」

「不幸な暮らしをしながら私たちに尽くしてくれる人々を見たならば、彼らの幸せのためにこれまで以上に身を粉にして働くのが私のつとめだというのは当然のことです。」

こちらの名言はマリーアントワネットが母親マリア・テレジアに宛てた手紙に書かれている文章になります。

王妃でありながらフランス国民に寄り添った考え方を持ち、わがままなイメージを払拭させる名言の1つになっています。

「何もいりません。全て終わりました。」

「何もいりません。全て終わりました。」

こちらはマリーアントワネットは処刑される日の最後の朝食にて、発した言葉とされています。

最後の晩餐を口にせず、全ての終わりを察したマリーアントワネットの力強い言葉です。

「勇気!私はそれを何年も見せてきた。私の苦しみが終わろうとしている瞬間にそれを失うと思う?」

「勇気!私はそれを何年も見せてきた。私の苦しみが終わろうとしている瞬間にそれを失うと思う?」

この名言はマリーアントワネットが処刑当日に処刑場に送り出される際、同行した祭司が「勇気を出すのです」と声を掛けた際に発した言葉になります。

マリーアントワネットはこの時にはすでに死を受け入れ、強く覚悟していたことが明らかです。

「どうかお許しください、わざとではございません。」

「どうかお許しください、わざとではございません。」

この発言はマリーアントワネットがギロチン処刑される際、誤って執行人の足を踏んでしまった時に発しています。

死ぬ直前まで相手を気遣うことのできるマリーアントワネットの言葉には、フランス国民への強い情愛を感じます。

妹に宛てた遺書の中に書かれていた「マリーアントワネットの名言」

「子どもたちを残していくことだけが心残りです。私が生きてこられたのは、あの子たちと、やさしく親切なあなたがいらっしゃったから。何もかも犠牲にしてくださったあなたを、私はなんという状態のなかに残していかなければならないのでしょう。」

「子どもたちを残していくことだけが心残りです。私が生きてこられたのは、あの子たちと、やさしく親切なあなたがいらっしゃったから。何もかも犠牲にしてくださったあなたを、私はなんという状態のなかに残していかなければならないのでしょう。」

マリーアントワネットは遺書にも名言を残しており、この遺書は妹に宛てられたものだと言われています。

この言葉はマリーアントワネットが先に処刑されることに対して、子供達に対して残したメッセージになります。

先に亡くなった夫であるルイ16世の所に行くとして、永遠の別れを言葉に表しています。

「私は恥ずべき死刑の判決を受けたのではありません。死刑は犯罪人にとって恥ずべきもの。これはあなたの兄上に会いに行くようにという判決なのです。良心の咎めがないので、私は平静な気持ちです。」

「私は恥ずべき死刑の判決を受けたのではありません。死刑は犯罪人にとって恥ずべきもの。これはあなたの兄上に会いに行くようにという判決なのです。良心の咎めがないので、私は平静な気持ちです。」

マリーアントワネットの処刑に関しては、「でっちあげ」によって罪人にされた部分が少なからずありました。

そのことを言葉に表した発言と思われますが、マリーアントワネットは平静な気持ちを忘れていませんでした。

「私に危害を与えた敵をみな赦(ゆる)します。」

「私に危害を与えた敵をみな赦(ゆる)します。」

フランス革命の時代に不遇の死を遂げてしまうマリーアントワネットですが、危害を加えられた全ての方に対してのメッセージです。

危害を加えた方を「敵」とみなしながらも、その方々を「赦す」という愛のメッセージと言えます。

マリーアントワネットの生涯

1755年、オーストリア・ウィーンで誕生

1755年、オーストリア・ウィーンで誕生

マリーアントワネットは1755年、オーストリア・ウィーンで誕生しました。

ホーフブルク宮殿という所で生まれ、現在はオーストリア国立図書館などがある場所となっています。

神聖ローマ皇帝フランツ1世とオーストリア女大公マリア・テレジアの十一女として生まれた

神聖ローマ皇帝フランツ1世とオーストリア女大公マリア・テレジアの十一女として生まれた

マリーアントワネットは神聖ローマ皇帝であるフランツ1世と、オーストリア女大公マリア・テレジアの十一女として生まれました。

フランス王妃になるまでは、本名の「マリア・アントーニア」として過ごしています。

当時はプロセインの脅威に晒されていたオーストリア

当時はプロセインの脅威に晒されていたオーストリア

当時のマリーアントワネットが暮らすオーストリアでは、プロセインによる脅威に晒されていました。

また、1754年から1763年にかけて「七年戦争」でプロセインと戦い、「オーストリア継承戦争(1740年–1748年)」で失った領土を奪い返すべく戦争となりました。

この戦いはヨーロッパの多くの国を巻き込み、オーストリアはプロセインと共に反感を持たれるようになります。

フランスとの同盟強化のため、ルイ皇太子(ルイ16世)と政略結婚させられる

フランスとの同盟強化のため、ルイ皇太子(ルイ16世)と政略結婚させられる

オーストリアはフランスとの同盟強化のために、フランス・ルイ皇太子(後のルイ16世)とマリーアントワネットを政略結婚することに決定しました。

この時にマリーアントワネットは「フランス王妃」となり、フランス国民のために戦うようになります。

フランス国内ではオーストリアに対しての拒否反応があった

フランス国内ではオーストリアに対しての拒否反応があった

フランスはオーストリアとプロイセンによって「七年戦争」に巻き込まれた国の1つでした。

そのためフランス国内ではオーストリアに対しての拒否反応、それはマリーアントワネットにも当てられたそうです。

10年間、フランス語習得に苦労したマリーアントワネット

10年間、フランス語習得に苦労したマリーアントワネット

マリーアントワネットがかつて住んでいたオーストリアでは、ドイツ語を母国語としていました。

しかし、フランス王妃となりフランス語を習得する必要がある中、なかなかフランス語習得に苦労したと言います。

その歳月は10年間にも及び、マリーアントワネットにとってフランス語習得は大きな難関となったようです。

義父ルイ15世の公式愛人(寵妃)のシステムを受け入れず、不仲関係だったマリーアントワネット

義父ルイ15世の公式愛人(寵妃)のシステムを受け入れず、不仲関係だったマリーアントワネット

義理の父親であるルイ15世は公式の愛人である寵妃(ちょうひ)のポンパドゥール夫人を愛していました。

しかし、マリーアントワネットはこの「寵妃」というシステムを受け入れられず、強い拒否反応を示したと言います。

そして、ポンパドゥール夫人とはずっと不仲関係にあり、目の上のたんこぶだったようです。

ルイ15世の死後、寵妃を宮廷から追放

ルイ15世の死後、寵妃を宮廷から追放

ルイ15世が1774年5月10日に亡くなると、その後はマリーアントワネットが力を持ち始めます。

その権力によってルイ15世の寵妃だったポンパドゥール夫人を宮廷から追放することに成功しました。

しかし、ここからマリーアントワネットは宮廷でわがままな性格になっていったと言います。

ブルボン家のしきたりを廃止していったマリーアントワネット

ブルボン家のしきたりを廃止していったマリーアントワネット

マリーアントワネットには軽率な部分があり、ブルボン家でのしきたりを廃止していくということを行いました。

さらには結婚時にお世話になった叔母(ルイ15世の兄妹)3人を敬遠するようになっていきます。

さらに遊び盛りの若い衆を取り巻きにして、宮廷内での評価をどんどんと下げていくこととなりました。

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