セオドア・ルーズベルトは何した?世界史上の功績・日本との関係と評価・死因まとめ
歴代のアメリカ大統領の中でも、今なお多くのアメリカ人から高く評価され、尊敬を集めているセオドア・ルーズベルト。
そこで今回、そんなセオドア・ルーズベルトは何したのか?世界史に残した功績と、親日家として知られていたセオドア・ルーズベルトの日本との関係や評価、その死因についてまとめてみました。
セオドア・ルーズベルトのプロフィール
セオドア・ルーズベルトと言えば、アメリカ大統領史において、国内の問題のみならず、国外の問題についても積極的に関与した最初の大統領であり、その後、アメリカ合衆国が“世界の警察”たる地位を確立する礎を築いたと言われる人物です。
歴代のアメリカ大統領の中でも、その精力的な活動と類い稀なるリーダーシップに基づく「カウボーイ」的な“男らしさ”から、今なお多くのアメリカ人から高く評価され、尊敬を集めているようです。
ちなみに、「セオドア(Theodore)」の愛称である「テディ(Teddy)」は、あの有名な人形「テディ・ベア」の名前の由来にもなっているんですよね。
今回は、そんなセオドア・ルーズベルトの生い立ちや経歴を振り返るとともに、彼が世界史に残した功績や日本との関係と評価、そして最期まで活動的だったと言われるセオドア・ルーズベルトの死因についてまとめてみました。
セオドア・ルーズベルトの生い立ちと大統領に就任するまでの経歴
1858年、ニューヨーク州でガラス輸入商社を営む裕福な家庭に生まれたセオドア・ルーズベルトは、幼少期は重い喘息に苦しむも、博物学や自然が大好きで、好奇心旺盛な子供だったそうです。
ハーバード大学進学を機に、次第に海軍へ関心を抱くようになったセオドア・ルーズベルトは、同大学卒業後、ニューヨーク州選出の下院議員に選ばれました。
さらに1882年には、後に名著として名を残すことになる、1812年の米英戦争におけるアメリカ海軍の戦術や作戦を詳細に分析した「The Naval War of 1812」を出版し、その軍事的分析力が高く評価されています。
ところが、1884年には母親と出産直後の妻を相次いで亡くしたセオドア・ルーズベルトは、その後、数年間は失意の中で牧場経営に携わることになります。
やがて心の傷が癒え、ニューヨークに戻ったセオドア・ルーズベルトは、ニューヨーク市警の腐敗追及に尽力し、多くの市民から支持を獲得していきました。
その後、その実績から海軍省に入省し、海軍次官として活躍していた折に勃発したのが、米西戦争だったんですよね。
セオドア・ルーズベルトは、直ちに職を辞し、陸軍士官として小さな連隊を率いてキューバで奮戦。やがてその名は国民的英雄として語られていくことになります。
そして、米西戦争後の1989年には、ニューヨーク州知事選で勝利すると、それまでの精力的な活躍と功績から、なんとその約2年後の1901年3月4日には、ウィリアム・マッキンリー政権の副大統領に抜擢されることに…。
セオドア・ルーズベルトは何した?世界史に残した功績について
セオドア・ルーズベルトは史上最年少で大統領に就任
ところが、そのたった半年後の1901年9月14日、ウィリアム・マッキンリー大統領が暗殺されてしまうんですよね。
これによりセオドア・ルーズベルトが副大統領から大統領に昇格し、わずか42歳という若さでアメリカ合衆国史上最年少の大統領となりました。
セオドア・ルーズベルトの功績① 企業の独占を厳しく取り締まる
当時、近代産業化が急速に進んだアメリカ国内においては、北部の主要都市を中心として人口の爆発的増加が続いていました。
その陰で成功を収めた一定の企業に権力と利益が集中し、単純な自由主義経済の下では、政府による制御が困難で、市場は独占状態に陥っていました。
セオドア・ルーズベルトは、このような状況は国民の経済機会を奪うのみならず、ひいては政治腐敗に繋がると懸念し、これまでの自由放任主義からの脱却を積極的に図りました。
具体的には、これらの国内の課題を説明するために「スクエア・ディール(Square Deal:「公正な扱い」の意味)」という政策を打ち出し、その下では、一般市民が正当な分け前を得ることができると強調したのです。
中でも、セオドア・ルーズベルトの大きな功績とされているのが、複数の鉄道会社が共同して運営していた「ノーザン証券会社告発事件」です。
ノーザン証券会社は、鉄道運賃を恣意的に操って実質的な独占状態を創り出し、長年に渡って競合鉄道会社を圧倒していたんですよね。
このセオドア・ルーズベルトの告発に対して、最高裁は大統領を支持し、ノーザン証券会社による独占状態を不公正と判断。これにより、セオドア・ルーズベルトが目指していた「独占を禁止する政策」が大きく前進することになります。
その後、セオドア・ルーズベルトは、大統領在任中に、実に54件もの独占禁止訴訟を起こしています。
セオドア・ルーズベルトの功績② “棍棒外交”でアメリカの権威を世界に示す
以上のように、アメリカ国内の政策で顕著な功績を残したセオドア・ルーズベルトですが、外交面でもそれまでの歴代大統領がなし得なかった数々の功績を残しています。
「Speak softly and carry a big stick. 」
これは、セオドア・ルーズベルトが世界の檜舞台で用いたスローガンで、俗に“棍棒(こんぼう)外交”と呼ばれています。
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英語表記: Theodore "Teddy" Roosevelt
肩書: アメリカ合衆国 第26代 大統領
任期 : 1901年9月14日 - 1909年3月4日
生誕: 1858年10月27日
出身地: アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク
死去 : 1919年1月6日(60歳)
死没地: アメリカ合衆国ニューヨーク州オイスター・ベイ
出身校 : ハーバード・カレッジ、 コロンビア大学職業 : 政治家、作家、歴史家、探検家、環境保護活動家、公務員
政党 : 共和党 (1897-1912)、進歩党 (1912-1916)
受賞 :
・ ノーベル平和賞(1906年)
・ 名誉勲章(死後の2001年に授与)