魔女狩りをわかりやすく解説

15世紀から18世紀に行われた「魔女狩り(魔女裁判)」

15世紀から18世紀に行われた「魔女狩り(魔女裁判)」

魔女狩りは15世紀から18世紀に行われたもので、残酷な歴史として現代にも世界中に伝わっています。

こちらの記事では「魔女狩り」についてわかりやすく解説、歴史なども含めてご紹介しています。

また、魔女狩りは魔女裁判によって魔女を特定し、多くの女性が犠牲に遭ったと言われています。

しかし、女性だけではなく一部の男性も魔女裁判にかけられ、処刑されたそうです。

ヨーロッパで「推定4万人から6万人」が処刑された

ヨーロッパで「推定4万人から6万人」が処刑された

魔女狩りはヨーロッパで実施されたもので、「推定4万人から6万人」が処刑されたそうです。

「魔術を使った」と疑われた人物が魔女裁判にかけられ、制裁を加えられています。

特に16世紀後半から17世紀にかけて盛り上がり、この時期は「大迫害時代」とも呼ばれたそうです。

魔女は今で言う所の「祈祷師」「シャーマン」「薬師」などを指す

魔女は今で言う所の「祈祷師」「シャーマン」「薬師」などを指す

魔女狩りの「魔女」ですが、これは現代でいう所の「祈祷師」「シャーマン」「薬師」などを指す言葉です。

かつては魔女は職業の1つでしたが、ヨーロッパでは宗教が関係して「魔女は驚異」と見られていました。

魔女狩り当時のヨーロッパでは魔女が「サタニズムの象徴」「キリスト教への脅威」だと考えられていた

魔女狩り当時のヨーロッパでは魔女が「サタニズムの象徴」「キリスト教への脅威」だと考えられていた

魔女狩りが行われていた当時のヨーロッパでは魔女が「サタニズムの象徴」だと考えられていました。

そこから「キリスト教への脅威」と捉えられ、魔女を処刑する魔女狩りが横行します。

犠牲者は8割が女性で、残りは害悪魔術(毒、病気、死、悪天候、性愛上のトラブル)を招くと判断された者が処刑された

犠牲者は8割が女性で、残りは害悪魔術(毒、病気、死、悪天候、性愛上のトラブル)を招くと判断された者が処刑された

魔女狩りによる犠牲者について、その犠牲者の「8割が女性だった」と言われています。

また、他にも害悪魔術(毒、病気、死、悪天候、性愛上のトラブル)を招くと判断された者が処刑されました。

当時のヨーロッパでは魔女は病気や死など、災いをもたらす「悪」だと考えられていました。

さらに魔女は箒に乗り魔法を使うなど、魔女狩りをきっかけにかなり定着を見せていきます。

魔女裁判を行う際の流れ(フローチャート)

魔女裁判を行う際の流れ(フローチャート)

魔女狩りでは処刑前に「魔女裁判」という魔女かどうかを判断する裁判に掛けられます。

その魔女裁判を行う際の流れ(フローチャート)ですが、かなり理不尽なものになっています。

見た目が魔女だと判断されると魔女裁判にかけられ、暴力を含めた尋問が普通に行われていました。

フローチャートを見る限り、怪しい見た目の女性のほとんどが魔女だと判断されたことが分かります。

魔女狩りの主な歴史と代表的な「魔女裁判」

発端は12世紀ごろの「異端審問」だと言われている

発端は12世紀ごろの「異端審問」だと言われている

魔女狩りの歴史として、発端は12世紀ごろの「異端審問(いたんしんもん)」だと言われています。

異端審問は中世以降のカトリック教会で実施されており、「正統信仰に反する教えを持つ者」が異端者として裁判に掛けられたものです。

鞭打ちや奴隷化などで罰せられ、厳しい判決の際は「柱に縛りつけられて火で焼かれる」などが行われました。

11世紀から13世紀のヨーロッパは、ローマ・カトリック教会の支配下にあった

11世紀から13世紀のヨーロッパは、ローマ・カトリック教会の支配下にあった

11世紀から13世紀のヨーロッパにおいては、ローマ・カトリック教会の支配下にありました。

キリスト教でもカトリックが台頭する時代であり、当時のヨーロッパの宗教はカトリックがメインだったと言えます。

1484年にローマ教皇インノケンティウス8世により、魔女を断罪する公文書が出された

1484年にローマ教皇インノケンティウス8世により、魔女を断罪する公文書が出された

1487年にローマ教皇のインノケンティウス8世により、魔女を断罪する公文書「スンミス・デジデランテス」が出されています。

これは異端審問(異教徒排除)に関わる者たちに「魔女掃討」の権限を与えるという内容でした。

さらにドイツの異端審問官ハインリヒ・クラーマーが魔女の有害性・見分け方を書いた著書「魔女に与える鉄槌」を発行、ドイツを中心にヨーロッパ全土で魔女狩りが広まっていきます。

ドイツやスコットランドをはじめ、16世紀・17世紀にヨーロッパで大々的に広まった魔女狩り

ドイツやスコットランドをはじめ、16世紀・17世紀にヨーロッパで大々的に広まった魔女狩り

魔女狩りはドイツやスコットランドなどから広まり、16世紀・17世紀にヨーロッパで大々的に広まりました。

そこから数々の「魔女裁判」が行われ、合法的に魔女と呼ばれる女性たちへの処刑が行われています。

1575年から1675年のローマで魔女として恐れられた「ベナンダンティ(善き歩行者)」

1575年から1675年のローマで魔女として恐れられた「ベナンダンティ(善き歩行者)」

1575年から1675年のローマでは、魔女として恐れられた「ベナンダンティ(善き歩行者)」と呼ばれる人々がいました。

ベナンダンティとは怪しい農耕儀礼を行うメンバーで、作物の実りを保証するために邪悪な魔女と戦う姿勢を見せていました。

また、ベナンダンティは異端・魔女として、「ローマの異端審問」で告発されているメンバーを指します。

当時のローマではベナンダンティは悪魔崇拝と同一視されていたそうです。

1581年から1593年にドイツで行われた「トリーア魔女裁判」

1581年から1593年にドイツで行われた「トリーア魔女裁判」

1581年から1593年にかけて、ドイツでは「トリーア魔女裁判」が実施されています。

トリーア魔女裁判はドイツ四大魔女裁判の1つであり、1000人近くのプロテスタント、ユダヤ人、魔女などが処刑されたと言われています。

1589年、イングランド王ジェームズ1世はスコットランド渡航で2度の嵐に遭遇した

1589年、イングランド王ジェームズ1世はスコットランド渡航で2度の嵐に遭遇した

1589年にイングランド王であるジェームズ1世ですが、スコットランド渡航の際に「2度の嵐」に遭遇しました。

新妻のデンマーク・アン王女乗せた船でしたが、スコットランドには着けずにノルウェーに避難することになります。

これに近いことが2度行われたことから、ジェームズ1世は「魔女の仕業だ」と思い込んだそうです。

1590年にジェームズ1世によりスコットランドで行われた「ノース・ベリック魔女裁判」

1590年にジェームズ1世によりスコットランドで行われた「ノース・ベリック魔女裁判」

魔女を恐れていたイングランド王のジェームズ1世は1590年、スコットランドで「ノース・ベリック魔女裁判」を実施します。

これは妻であるアン王女を守るために実施、70人以上の人々が「魔女」の疑いをかけられています。

その中で自白を拒む人々には「激しい拷問」がかけられ、絞殺・火あぶりで処されました。

1597年にジェームズ1世により執筆された著書「悪魔学」がベストセラーになる

1597年にジェームズ1世により執筆された著書「悪魔学」がベストセラーになる

1597年にジェームズ1世により執筆された著書「悪魔学」がベストセラーになっています。

この書物では当時の降霊術(亡者の霊を呼び寄せる魔術)や古代の黒魔術などの様々な占術の歴史的関係が考察・紹介されています。

さらにこの書物には狼男・吸血鬼などについての記述もあったと言われています。

1603年から1606年にかけてドイツ・フルダで行われた「フルダ魔女裁判」

1603年から1606年にかけてドイツ・フルダで行われた「フルダ魔女裁判」

1603年から1606年にかけてドイツ・フルダで行われた「フルダ魔女裁判」がありました。

このフルだ魔女裁判では「約250人」がが処刑となり、死亡したと言われています。

この魔女裁判もドイツにおけるドイツ四大魔女裁判の1つとされています。

1609年にフランスで実施された「ラブールの魔女狩り」

1609年にフランスで実施された「ラブールの魔女狩り」

1609年にはフランスで実施された「ラブールの魔女狩り」も有名な魔女裁判の1つです。

ラブールの魔女狩りはフランス王国出身の判事ピエール・ド・ランクルが行ったとされる裁判です。

自称600人以上の女性が無実の罪で「魔女」と認定されて、処刑されたと言い伝えられています。

1612年にイギリスのランカシャーで実際にあった「ペンドル魔女裁判」

1612年にイギリスのランカシャーで実際にあった「ペンドル魔女裁判」

1612年にはイギリス・ランカシャーで実際にあったとされる「ペンドル魔女裁判」も有名です。

こちらは物乞いで生計を立てる10人の人々が、「物乞いを拒んだ男性を呪い、半身不随にした」と疑いを掛けられて処刑されたそうです。

1626年から1631年、ドイツで同時期に実施された「バンベルク魔女裁判」と「ヴュルツブルク魔女裁判」

1626年から1631年、ドイツで同時期に実施された「バンベルク魔女裁判」と「ヴュルツブルク魔女裁判」

1626年から1631年、ドイツで実施されたのが「バンベルク魔女裁判」と「ヴュルツブルク魔女裁判」という魔女裁判です。

この2つは同時期に行われたもので、バンベルク魔女裁判は約1000人、ヴュルツブルク魔女裁判では約900人が処刑されたそうです。

1644年から1646年にかけてイギリスで「魔女狩り将軍」と恐れられたマシュー・ホプキンス

1644年から1646年にかけてイギリスで「魔女狩り将軍」と恐れられたマシュー・ホプキンス

1644年から1646年にかけてイギリスで「魔女狩り将軍」と恐れられたのがマシュー・ホプキンスという人物です。

マシュー・ホプキンスは「サフォーク」「エセックス」「ノーフォーク」などのイングランド東部で魔女狩りを中心として行いました。

イギリス政府から魔女狩りを任されていると人々を騙し、300人もの無実の人々を処刑し、多額の利益を得たそうです。

出典:YouTube

マシュー・ホプキンスの魔女狩りに関する紹介動画

1692年から1693年、アメリカで行われた「セイラム魔女裁判」

1692年から1693年、アメリカで行われた「セイラム魔女裁判」

1692年から1693年においては、ヨーロッパを離れてアメリカでも「セイラム魔女裁判」が行われました。

これはヨーロッパ移民により実施された魔女狩りで、約200人の村人が魔女として告発されています。

その内19人が処刑されて死亡、1人が拷問中に圧死となり、2人の赤ん坊を含む5人が獄死しています。

心理学者リンダ・キャポラエルはセイラム魔女裁判は「麦角菌(麦角中毒)」が原因だったと報告

心理学者リンダ・キャポラエルはセイラム魔女裁判は「麦角菌(麦角中毒)」が原因だったと報告

1970年代に心理学者リンダ・キャポラエルさんは、セイラム魔女裁判は「麦角菌(麦角中毒)」が原因だったと報告しています。

この成分は幻覚剤として知られる「LSD」の原料であり、魔女とされた人物は幻覚を見ていたと分析をしています。

17世紀から18世紀にようやく反対運動が起こるようになった

17世紀から18世紀にようやく反対運動が起こるようになった

ヨーロッパでは長らく魔女狩りが蔓延していましたが、17世紀から18世紀にようやく反対運動というものが出てきました。

魔女狩りに疑問を持つ市民が生まれ、反対を主張する運動が実施されたそうです。

魔女狩りの衰退のきっかけはガリレオ・ガリレイなどの近代思想の発展だと分析されている

魔女狩りの衰退のきっかけはガリレオ・ガリレイなどの近代思想の発展だと分析されている

魔女狩りの衰退のきっかけとして、ガリレオ・ガリレイなどの近代思想の発展が関係していると分析されています。

17世紀初頭から物理学や天文学が発展し、学問に興味を持つ人々が増えていきました。

学問が文化として根付くのと並行して、魔女狩りに対する興味は削がれていったようです。

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