
ダッカ日航機ハイジャック事件の犯人は日本赤軍!詳細や人質解放・その後現在まとめ
1977年9月28日にバングラデシュ・ダッカのシャージャラル国際空港で起こった、日本赤軍によるダッカ日航機ハイジャック事件の詳細と、人質解放までの緊迫の134日間、犯人のその後と現在をまとめています。
ダッカ日航機ハイジャック事件について
ダッカ日航機ハイジャック事件の詳細
ダッカ日航機ハイジャック事件は、発生してから終結を迎えるまで、およそ134時間という時間を要したハイジャック事件です。
そんな長期戦となった事件の詳細を解説していきます。
ムンバイ国際空港で日本航空472便がハイジャックされる事件が発生
犯人グループは声明を発表し、人質151人の身代金600万ドル(当時の日本円で約16億円)と、日本で服役および勾留中の日本赤軍メンバー9名(城崎勉、奥平純三、大道寺あや子、泉水博、浴田由紀子、植垣康博、知念功、仁平映、大村寿雄)の釈放並びに日本赤軍への参加を要求してきました。
犯人達は人質からパスポートや身につけている時計、貴金属類とお金を没収し、手荷物は降乗口に積み上げて、即席のバリケードにしました。また、窓のシェードは降ろされて、機内の様子は外から確認できませんでした。
超法規的措置で人質解放へ
ダッカで身代金目的の軍事クーデターが発生
市内では戒厳令が発令され、2時間ほどで鎮圧されますが、空港周辺の戦闘では政府軍の士官11名が死亡し、司令官が負傷する事態となりました。また、管制塔の中でも銃撃戦が繰り広げられ、それは日本政府の関係者や報道関係者の間近で行われていたようです。幸い日本人に死者や負傷者は出なかったということ。
人質解放に向けて団長の石井政務次官を始めとする救援隊が悪戦苦闘
アブドゥル・ガファル・マムード
— 日本赤軍bot (@JapanRedArmyBot) 2017年12月9日
バングラデシュ空軍少将。
1929年生まれ。バングラデシュ独立まではパキスタン空軍司令部所属。
76年に国の副司令官となり、ダッカ事件では犯人と直接交渉。クーデターで負傷するまで、不眠不休で奮闘した。 pic.twitter.com/DODoIp5yJS
ダッカ日航機ハイジャック事件とは、1977年9月28日、日本赤軍が起こしたハイジャック事件で、ダッカ事件とも呼ばれている、終息までに6日間という時間を要したテロ事件です。